July 29, 2014

アイスランド紀行

またしてもタイムリーではないのですが、アイスランドのことについて書きたいと思います。

7月上旬、娘が名誉領事をしているアイスランドに京都経済同友会の方々30数名と行きました。娘は京都経済同友会の副代表幹事であり、2年に1度海外視察があり、長谷代表幹事のご提案でアイスランド視察が決まりました。42度の極暑のギリシャから、8度のアイスランド。8度といっても体感温度はマイナスほどの厳寒でした。立っていられないほどの激しい風に見舞われ、その寒さは身に応えましたが、有意義な3日間を過ごしました。

アイスランドというと、真っ先に思い浮かぶのは2008年の世界金融危機の影響を強く受けた国家の財政破破綻、また、地域によっては2週間も航空運航ができなかった2010年の火山爆発です。経済は徐々に復興をとげ、いま経済は上昇しています。

国土は北海道より少し大きく、人口は約32万人、秋田市とほぼ同じです。首都レイキャビックの人口は約20万人、これは熊谷市とほぼ同じです。
雨と風と嵐の国ですが、同時に安心・安全の国でもあります。7割の人間が漁業関連にたずさわっており、厳しくも美しい風土をもった、人権を尊重する国です。
特徴のひとつはなんといっても、地下資源が豊富であること。そしてメキシコ海流のため、冬でも極度に寒いということはないようです。(私が行った7月はイレギュラーなようです)世界平和指数においては、アイスランドは1位、ちなみに日本は7位です。世界で唯一防衛を持たない国でもあるのです。

温暖化の影響によって、今まで南極海港路でしか行けなかったのが、最近は北極海航路をつかうことができるようになりました。それは経費の点で3割ほど削減になるようで、世界の人たちはいま最も注目しています。一番積極的に動いているのは中国であり、私は日本が乗り遅れるのではないかと心配していましたが、帰ってきたら新聞で日本も北極海航路をつかうとの記事を見てほっとしました。でも中国は、いつも30年50年先を見込んで戦略的に物事をおこすので、今回も北極海航路をはじめとして、地下資源豊富、防衛軍をもたないアイスランドになにを仕掛けてくるのか、注視しているところです。アイスランド人は本質的に中国よりも日本が好きなようです。しかし、中国はヨーロッパの国として初めてアイスランドと協定を結び、アイスランド人の誇りを満足させました。
日本はオーナー社長も少なく、首相もすぐに変わるので、30年50年後を見据えた戦略をなかなか立てられないことを、私は残念に思っています。その点中国は国をあげてのことなので、太刀打ちできないという思いを持つことがあります。
たとえばキューバにおいても、アメリカが撤退するとともにキューバにおける中国の力は大きくなり、最近ではキューバの石油採掘利権を買ったといわれていますし、キューバを走る車のほとんどが中国製だともいわれています。
またドイツにおいては、メルケル首相にすぐにすり寄りました。最近もドイツ首相が中国を訪れ、経済の連携をはかったようですし、中国では今やトヨタをしのいで、フォルクスワーゲンの車が多く走っているようです。ギリシャにおいても今や中国は経済進出を果たし、不気味な存在となってきています。
危機に際して手を差し伸べられた国は恩に着るのでしょう。日本においても、あっと気が付けば中国が水の資源のもととなる山林を買い取ってしまっていました。やはり中国は戦略的に恐ろしい存在だという気がします。

ギリシャにおいても今や中国は経済進出を果たし、不気味な存在です。
中国のみならず、世界の人がいま注視しているアイスランド。大変魅力的なところです。「ギャオ」という地球の割れ目があります。地球はアイスランドで始まり、日本で終わっているのです。プレートの始まりであり、私もそれを見てきましたが、目の前はユーラシア大陸、そして私の立っていたところは北アメリカ大陸。自然の偉大さに感服しました。またいまにも爆発しそうな火山をかかえているので、間欠泉がおおく、数分おきに高いお湯が噴き出る様は見ごたえのあるものでした。ホテルの窓から海が眺められ、その間に緑や赤の屋根の家が見られ、絵本のようなかわいらしさでした。でも人は一人も通っておらず、確かに人口が少ないのですから当たり前のことですが、人口密度の高い日本に住んでいる私には不思議な光景でした。
人権教育に力を注ぎ、この国はすべて平等を大切にしています。結婚は2度3度しても普通のことであり、それで偏見を持たれることはありません。離婚しても父親は個別に自分の子供に養育費を払うのではなく、国に直接払い、母親は国から支払ってもらっているので、困ることはありません。「自由で平等で安全で、ここに住んだら気楽で幸せです」と30年住んでいる日本人ガイドさんは言っていました。
1986年、ゴルバチョフとニクソンがアイスランドで会談しましたが、その時は当然防衛軍がないので警察が警備し、そのときの場所はホフディーハウスというなんとも小さな家でした。海に近く、襲おうと思えばすぐに襲えるのに、軍備を持たないがゆえに国際社会が見守っていたのでしょうか。その後1989年マルタ会談で米ソは冷戦終結を宣言しましたが、レイキャビックは冷戦終結のきっかけの地となったのでした。
アイスランドではすべて決済はカードであり、十円からカードで払うことができます。私もアイスランド通貨クローナは一度も使いませんでした。最後の日はブルーラグーンという大きな露天風呂のようなところに入り、みんな歳を忘れ子供のようにはしゃぎ、アイスランドを後にしました。オーロラを見られなかったのは残念でした。住めば住んだで、幾多の困難もあるのでしょうが、他国を訪れ、異なった価値観や人々の生き方、文化、偉大な自然に触れることは新鮮な驚きを感じさせてくれます。


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July 16, 2014

国際会議の報告です

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久しぶりにブログを書きます。

タイムリーではないのですが、報告したいことがあります。
6月25日ギリシャのクレタ島に行きました。クレタ島にて、H.C.I.I-Human Computer Interaction International(人間とテクノロジーの間の相互作用に関する国際会議)という世界各国から1000人ほどの研究者が集まった国際会議が開催されました。日本からも100名ほどの研究者が来ており、京都工芸繊維大学大学院教授 伝統みらい教育研究センター長 濱田泰以工学博士も主催者のひとりであり、同大学院、桑田教彰准教授もとで博士課程をめざしている学生たちが、Utilizing Traditional Wisdom and Technologies in Industry(産業における伝統的な知恵と技術の活用)というセッションで学会発表をしました。

博士課程を目指している人たちは、それぞれ30代・40代の若い世代の中小企業のオーナーたちですが、彼らはリーダーとしての重責や、厳しい企業経営の難しさに直面しつつも、その地位に甘んじることなく目標を持ち誠実に真摯に研究に励んでいます。たった15分の発表でも、数十時間もデータを集めたり実験をしたりと、日々研究を積み重ねているのです。
彼らをみていると私は次世代に希望を見出せる気がします。それぞれが経済的にも物理的にも多大な力を注いでいるのを見るとき、彼らが日本に、ひいては世界に貢献していってくれるだろうと信じ、彼らのような若い研究者を大切にする日本にしたいと思います。内向きの日本といわれていますが決してそんなことはありません。日本の研究者たちはしっかりと緻密に研究に励んでいます。

濱田教授は複合材利用において世界的第一人者であり、長女も濱田教授ならびに桑田准教授のもと博士課程の研究をしているのです。
長女の講演のテーマは、「いけばなにおける初心者・熟練者の手直しの評価基準の違いについて、データを集め科学的に解明する」でした。日本語で説明されてもわからないようなものを、英語で話されてもわからないのではないかと思いましたが、近ごろはパワーポイントを使うので楽しんで聞くことができました。終了後、外国人から手直しについての大変難しい質問がでていましたが、それにもきっちり正確に答えている姿に、娘ながら感服し、それは今までの研究の成果の賜物だと思いました。むしろ準備してあった研究の発表以上に、自らその場で答弁した内容にはとても説得力がありました。
またある青年は、小田原のプラスチック加工を製造している若手社長ですが、父親は日本で一番プラスチック加工において秀でた職人芸を持っているようです。初心者と職人芸を持った熟練者の技の違いをただ単にその人間の技能や経験で片付けないで、それに科学的解明をプラスし、データ等を集めながら説明していました。

ある人は日本ならびに世界の博物館などで修復事業にたずさわり、ある人は代々つづく毛髪を家業とし、それぞれが世界の伝統工芸に身をおきながら、ただそれを守るだけではなく、未来に向けて飛躍しようと模索しているのです。
久しぶりに私も若い息吹に触れ、みずみずしい感性を取り戻しました。


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June 19, 2014

集団的自衛権の行使について

 集団的自衛権の行使について自分の意見を書いたところ、様々な方からご意見を伺うことができて大変参考になりました。

 ただ私は、様々な方のご意見にはとても興味がありますが、過激な意見や自分の意見が絶対に正しいという思い込みには多少の不安を覚えました。

 戦前・戦後を生き抜いてきた父は、戦争により根底から価値観を覆された反省に立って、娘たちには社会の流れに対してそれが本当に正しいかどうか確かめた上で、いつも自分の意見を持つようにと言い続けました。


 個の確立・自立を持つことが最も大事であり、私が学会員ではなく、ましてや他の住職の妻でありながらも受け入れてくださったのは、私の自由なものの考え方を許容してくださったということでしょう。

 私が政治家であったときには、大切な法案に対しては自分の明確な意見を持っていても、さらに2~3人の尊敬する有識者にご意見を伺い、もう一度自分の意見を心の中で正しました。

 私は常に何事にも自由で、白紙の状態で物事の本質に迫っていきたいと願っています。

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June 17, 2014

久しぶりのブログです

Facebookばかりで、ブログの更新が滞っていました。
Facebookをされている方はそちらもご覧いただけたら幸せです。


集団的自衛権について言及したところ、たくさんのご意見をいただきました。
私は集団的自衛権に反対というよりも、このような重大な問題は憲法解釈ではなく、憲法にも抵触する問題ですから、きっちりと国民への説明責任があり、大所高所から国民の意見を汲み取るべきと考えています。
憲法の拡大解釈でいろんなことができてしまうと、その時代の政治家の意見によって、もっと拡大解釈されることが出てくるのではないかと危惧します。
このような重大な問題、拙速な対応にならないことを私は願っているのです。
国民の生命や幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある場合、自衛隊権を発動するという内容を読みましたが、恐れの解釈について心配な点が指摘されています。

議員時代、児童虐待防止を改正するとき、私は「虐待の恐れのある児童を見つけたときは関係団体に通報すること」というのを明記しました。その際、法制局からは恐れなどというあいまいな表現を今まで法律に盛り込んだことはないと、言下に反対されました。
前例がないからしてはならないということはない。法律は一般国民にわかりやすい文章こそが必要である。特に児童虐待は一般の市民生活の問題だから、誰にとってもわかりやすく書くべきだと私は強く主張しました。
個々人が、「虐待を受けているのではないか」「虐待の恐れがあるのではないか」という判断をしたら通報してほしいのです。それこそが虐待を防ぐ道です。 
この場合の恐れは、個々の判断にゆだねることができるのです。
しかし今度の集団的自衛権に関しては、この恐れの解釈は大変難しいように感じます。
いかにしたら拡大解釈がされないよう歯止めをかけることができるのが、そこが思案のしどころであると感じます。

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March 03, 2014

3月13日 シンポジウムのご案内

梅がかわいらしい花を咲かせ、春が訪れてきました。
お天気症候群の私は、春めいてくると途端に心が浮き立ってきます。
前のブログの時にもお知らせしましたが、次世代の教育のためにNPOを立ち上げました。
今回、下記のようなシンポジウムを開きます。
是非ご参加いただけたら幸せです。


ご参加いただく方は、FAXにてお知らせください。

075-746-2157
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January 31, 2014

NPO「萌木」 シンポジウムのご案内

来月3月13日、NPO「萌木」の活動の一環として、日韓の絆についての講演・パネルディスカッションをおこなうことといたしました。

萌木のご賛同にかかわりなくお一人でも多くの方々にお二人方の先生のお話を聞いていただきたく、ご案内させていただきます。お越しをお待ちしております。


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「次世代に伝えたい、託したい、日韓の絆」

●基調講演
中西 進  「有隣の国―知と愛をめぐって―」
伊藤亞人 「隣の国韓国で考えたこと」

●パネルディスカッション
(パネリスト、コーディネーター)
韓 昌祐、高 英毅、池坊 保子、老川 祥一

日時:2014年3月13日 16:00-18:00
会場:プレスセンターホール
    日本プレスセンタービル10F
    東京都千代田区内幸町2-2-1


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お越しいただける方は、

・お名前(フリガナ)
・ご住所
・ご連絡先(TEL,FAX)

をお書きの上、
info@npo-moegi.com
こちらのメールアドレスまでお知らせください。

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December 18, 2013

NPO萌木のホームページを立ち上げました。

まだ、暑かった7月18日に、準備などについて、書きましたが、特定非営利活動法人萌木が、9月27日(大安でした)に設立認可されました。
本日、特定非営利活動法人(NPO)萌木http://www.npo-moegi.com/
のホームページをたちあげました。

次世代を育むNPO萌木のホームページをご覧いただけると幸いです。
多くの方々の叡智と力を結集し、ネットワークの輪を拡げたいと願っています。

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December 14, 2013

顔見世に行きました

 久しぶりにブログを書きます。
 北朝鮮に生まれなくてよかったとしみじみと思いました。あっという間に親族のNo.2が殺されてしまう。それも機関銃で殺すという残虐な行為。ほんとうに恐ろしく、心が塞ぎました。

 そのなかにあって、心に明るい灯がともりました。南座の顔見世に行ったのです。坂田藤十郎さん、御年82歳にもかかわらず、道行ではなんともいえない艶っぽさがあって、それは一重に日々の努力の賜物とあらためて芸の深さに素直に感銘しました。
 中車も頑張っているので、私は声援を送りたいのです。中車のあのいかつい顔は全く私の好みではありませんが、48歳にして未知の世界の歌舞伎に入り、全力でがんばっている姿、声援しないではいられません。
彼はもともと、芸に熱心で、俳優としてもその役にのめりこみ、研究し、いつも卓越した演技をしていました。でも映画俳優と歌舞伎の世界は全くといっていいほど修行においては異なると思います。小さい時からその世界にいて、肌で覚え、日常生活のなかで修行をしてきたその積み重ねを身に着けているひとたちに伍して、ひけをとらない演技をする。並大抵の努力ではかなわないとおもいます。中車は、それをやり遂げようと、精進している感じが伝わってきます。がんばれ中車、と思いながら見ていました。
 夜の部は、合計一時間二十分の休憩がありましたが、なんと四時十五分から九時半まででした。でもちっとも退屈しない、非日常の芸の深さに魅せられた数時間を過ごせて、限りない幸せでした。本当に何年振りかの顔見世です。現役時代は、今頃は補正予算や来年度予算で頭を悩ませておりました。私は教育行政に携わってきたので、教育予算を一円でも多く取りたい、OECDの中で国家が占める教育費、文化芸術・スポーツ関係費はいつも最下位に近いのです。渋る財務省の役人をみていると、あなたがたのお金ではない、これは国民の税金だ、と居丈高に見える彼らに腹が立って、ストレスをためる時期です。ほっとしている今に限りない至福の時を感じています。

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November 26, 2013

小学校時代の作品です

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 この絵、上手だと思われませんか。
 小学校5年生のときに書いた賀状です。

 久しぶりに小学校時代の同級生が京都に遊びに来て、数名と一晩共にしました。
 70年近い歳月を超えて、小学校時代に戻った気持ちになり、午前2時まで語り明かしました。
 その友人の一人が、図工の時間に描いたみんなの賀状を一冊のノートにしたため、ずっと遺していたのです。彼女は転勤族だったので、岐阜、兵庫、福岡と転勤し、その間もずっとそのノートを持ち歩いていたようです。私は何一つ小学校時代のものを残していないので、とても懐かしく貴重なものに思われました。こうしたちょっとした思い出の品は、得ようとしても得ることができず、深い感謝の思いを持ちました。
 ウメ、テコ、ムラコ。すべて小学校時代に戻ってニックネームで呼び合うことに何の違和感もありませんでした。
 ニックネームは、ただ単純に、私は梅渓だから「ウメ」、「ムラコ」は村上さんだから「ムラコ」。
 私は「ウメ」というニックネームは決して嬉しくありませんでした。
 今でこそ「ウメ」は、厳しい寒さにあっても毅然と気高く優雅に咲き誇る梅でもあり、心を寄せていますが、幼いとき「ウメ」といわれると、なんとなくおばあちゃんの名前みたいで身にそぐわない気がしました。
 けれども梅渓さんなんて呼ばれたらなおさら空々しくて、やっぱり私は「ウメ」なのかもしれません。
 宍戸さんは「オシシ」。でも彼女はそのニックネームは本当に喜んでいたのでしょうか。バスの中で少女たちが大声でオシシ、オシシと呼ぶのを彼女は少し嫌だったわと言っていたのを思い出しました。
 また友人の中に「オチャル」というニックネームの人がいました。彼女は身体能力がずば抜けていて、テニスの選手でした。学習院女子部が曲がりなりにもそのときテニスがうまいということで名を馳せていたのは、彼女の力によるところ大です。テニスばかりしていたので当然色が黒く、あまりにも敏捷だったから、「オチャル」のニックネームになったのでしょうか。私は運動神経が鈍かったので、彼女を別世界の人として畏敬の念で見ていたので、あまり話したことはなかったのですが、振り返ってみると、もしかしたら「オチャル」というニックネームを彼女は嫌っていたかもしれない。そんな気がしたのです。
 いつ誰がつけたかわからず、でもいつの間にかみんなの中で定着し、当然のごとくに親しんできたニックネーム。もしかしたら必ずしも本人が喜んでいたとは限らない。そんな気が、青春時代の思い出とともに蘇ってきました。
どちらにしても、私は「ウメ」と呼ばれると青春時代を思い起こし、なんとなく華やいだ気持ちになりました。

 ちょっと時間ができたので、これからは私が在校し限りなく愛していた学習院の初等科、中等科、高等科の人たちと共に過ごす時間をもちたいと思ったひとときでした。
私が素敵だと思うのは、みんな人の批判をしたり、ななめに物事をみたりすることなく、純粋で心の優しい人が多いことです。もしかしたらそれは私の学校に対する身贔屓でしょうか。

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November 07, 2013

10月10日、旭日大綬章感謝の夕べをしました。

 久しぶりにブログを書きます。ずっとご無沙汰だったので、もう見捨てられたかもしれませんが、細々ながら続けていこうという意思はもっております。

 6月9日に、天皇陛下より直々に旭日大綬章を賜り、その感謝の小宴を10月10日にいたしました。もう政治家ではないので晴れがましい席はいいと、躊躇する思いもありましたが、娘が、一生の一度のことだからと背中を押してくれ開催しました。
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 卓上には250本の薔薇を生けた大作が生けられ、私にとっては限りなく幸せなひと時でした。おこがましくもその謝辞を記載いたします。
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 「本日はお忙しい中こんなに多くの方にご出席いただき心より感謝の思いでございます。六月九日、天皇陛下が直々にご署名いただいた旭日大綬章を天皇自ら御手渡しいただきました。心より幸せに感じました。これはひとえに、お支え下さいました皆さま方の力の賜物でございます。
 幼い日の夢であった政治家になって以来、公明党山口代表はじめ公明党議員の方々には、政治活動でいつも励まし、助けていただきました。政治家は足を引っ張り合うといわれておりますが、公明党にあっては、皆が支え合い、一瞬たりともそのような経験をしたことはございません。また、六世紀に聖徳太子によって建立され、1203年に親鸞聖人が百日籠られて浄土真宗を開かれた紫雲山頂法寺六角堂の住職の妻である私を、党派をこえ、いつも深い情愛で励まし、応援して下さった創価学会の皆さま方、私が政治家になった日からずっと見守ってくださった西口総関西長、西山関西長、なによりも婦人部の皆さま方に心から感謝の思いでございます。皆さま方が励ましてくださればこそ、私はあの夏の暑い日にも冬の厳しさの中にあっても、微笑を絶やさず選挙を戦っていくことができました。その絆はいつまでも心に刻み込まれております。そして今日、わざわざ東京からお越しくださった皆さま方、地元の皆さま方、心より感謝申し上げます。
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 この授章を、娘二人は素直に心から喜んでくれました。人生の晩秋を迎え、良き子育てができたのかと忸怩たる思いのするなか、ささやかな子供孝行ができたのかと安堵する思いがいたします。今日のこの日も、このような晴れがましいことは躊躇する思いがいたしましたが、人生に一度しかないからと娘が背中を押してくれ、舞台にございます大作も一か月前から制作し、また皆さま方の感謝の思いを卓上の花にと、今朝生けてくれました。由紀、美佳、本当にありがとう。幼い日の政治家になりたいという夢を五十四歳にして期せずして果たすことができました。苦しんでいる子どもたちを救うための児童虐待防止法を成立させたとき、政治家になってよかったと心底思いました。
 日本の柱は、教育・文化芸術、科学技術、スポーツと、強い信念のもと文部科学行政に携わることができ、その間数多くの法律を作ることができましたことは私にとって幸せの一言に尽きます。今日も文部科学省からは次官をはじめ、沢山の人が来てくれています。みんな私の大切な同志です。ありがとう。芸術文化振興基本法、子ども読書活動推進法、文字・活字文化振興法、オリンピックをひかえスポーツ基本法、そしてまた、京都府知事、市長、商工会議所のつよい希望をかなえ、古典の日を制定いたしました。11月1日は古典の日です。引退する直前に、社会保障と税の一体改革のなかで7千億円、年間こどものために助成する子ども子育て支援法を議員立法し、悔いない政治生活でした。
 天皇陛下から賞状を頂いたとき、引退のない陛下を拝受し、私もこれからはのびのびと、おおらかに自由に自分のしたいことをしていきたいと思いますが、わが命わが宝である娘や孫に、少しでも社会に貢献している後姿をみせたいと、いままで培ってきました叡智人脈を生かし、教育NPOを立ち上げました。府の認可もいただき、大安の日の9月27日に登記を済ませました。国際社会のなかで、尊敬と情愛のもてる人間育成に力をそそいでいくことは、先を歩んでいる人間の使命と信じております。
 これからも、夢と目標をもって精進し、皆さま方にお助けいただくとともに、皆さまの少しでも力になれる存在でなければならないと心に銘じております。どうぞこれからもお支えいただけますよう心よりお願いし、言葉に尽くすことのできない感謝の言葉とさせていただきます。」
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