June 22, 2009

やっぱり、おかしいと怒っている

 ずっともやもやと心にわだかまっていること、しつこいようですが前々回にも書いた厚生労働省・前児童家庭局長の逮捕です。
 確かに彼女のした行為は許されるべきことではありません。普通郵便は120円かかりますが、障害者団体はこれが8円で郵送されます。私たち政治家もダイレクトメール、国会報告を送るので、120円は痛い、といつも痛切に思うことです。それによって30億円近い金額を誤魔化したとするならば、それは決して許されることではありません。障害者ではない人たちに障害者団体証明を出したことは確かに許されるべきでないと心底思います。
 私が問題にしたいのはそれを指示した上司なのです。上司は、指示はしたけれども不正を働けとは言わなかった、と警察に述べたそうです。旧厚生省にずっと長く勤めてきた人間が、それを指示した段階で不正だということは100パーセント分かっていたはずです。にも関わらず、元上司はなぜ逮捕されないのでしょうか。今も厚労省の天下り先の理事として、ぬくぬくと安住しているのは許し難い思いがします。現在、役人でなければ逮捕されないのでしょうか。自ら率先して検察に様々な事柄を事細かに述べていますが、検察の覚えが良いから逮捕されないのだろうと私は思ってしまいます。
 そして言うまでもなく、マスコミによれば、これを要望したのは民主党の幹部ということです。 私は検察ではないので事実関係は知りませんが、だとしたらとんでもないことです。それらのことは明白にならずに、罪を一人、前局長におっ被せているとしか私には思えないのです。
 彼女は旧労働省の有能な役人でした。厚生省と労働省が合併して厚生労働省になって、有能なので今までの仕事領域ではありませんが、障害者自立支援法の成立に関わってきたのです。 言ってみれば、今まで一緒に仕事をしたことのない旧厚生省の人たちに囲まれ、逮捕されて、前局長に指示されたとペラペラ喋っている係長も旧厚生省の人ですが、上司と部下が旧厚生省である中に挟まれ、でも彼女はきっと私欲なく、純粋に懸命に仕事をしてきたかと思うのです。
 私の友人の役人は「我が身につまされる、嵌められたのですかね」と嘆いていましたが、いまいち私には納得のいかない出来事です。
 検察も、リークした人間だけを重宝に扱うのではなく、公平にこの事件を説明してほしいと思います。何故なら、明らかにマスコミに流れている情報は検察のリークとしか思えないからです。
 私も検察に睨まれたら、不利な状況に追い込まれていくのでしょうか。それでは、私には世の中は不条理に思えてなりません。
 前局長の罪は罪として、それで彼女の全人格と能力が否定されたものではありません。落ち着いたら、激励の手紙と本でも贈ろうかと思っている昨今です。
 でも検察もしっかりと皆が納得いく説明を、小出しのリークではなく、してほしいと思います。
 この事件に関しては、9割の役人たちが首を傾げ、疑心暗鬼になり、そして納得できないと思っているのは事実です。
 いくつになっても青臭いと言われそうですが、青臭さを抜かしたら、生きている甲斐がないと思っております。
 いつもおかしいことはおかしいと言い続けながら、それが私にとっては生きる証だと思っています。
 「おかしいぞー、検察!!早く上司の元部長も逮捕しろ」と一人、お風呂で叫んでいます(叫ばないとストレスが溜まってしまいます)。何も私は上司の元部長に恨みがある訳ではありません。一面識もないのですから。でも私はいまだ納得いかないだけなのです。
 前々回と同じようなブログでごめんなさい。前々回を忘れているのではありません。それだけ気にかかっているのです。

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June 18, 2009

臓器移植法改正案 衆院通過

 今日、臓器移植法改正案のA案が賛成多数で衆院を通過しました。
 私は心から嬉しく思っております。何故ならば政治家になる前から、政治家になったらすぐに取り掛かりたい問題が2つありました。一点は臓器移植法、もう一点は選択的夫婦別姓制度です。
 与党はこの2つの問題は大変重要であり、前者は命に関わり、後者はその人間の生き方を変える問題でありながら、利権に関わらないためか、たな晒しにされてきました。
 当選して数年後、臓器移植法案が出された時、厚生労働委員会で私は何度も質問いたしました。私は基本的に選択肢の多い社会の方が、成熟した社会だと信じています。
 A案の、脳死は人の死であるからといって、また全ての人たちが提供できるからといって、死んですぐに臓器を移植しなければならないということはないのです。当然の如くに拒否する権利があるのです。
 私は娘たちとこの件について話し合い、娘は、たとえ脳死となっても体に温もりのある間は、現時点においては内臓移植はしないでくれ、温もりがなくなってから角膜等を提供するのは構わない、とのことでした。ただその場合、遺体と対面できないのは哀しいけれど、それは大丈夫なのか、という質問がありました。家族においても、年代、環境によって考えも変ってくると思います。このように重要な問題に対して家族が話し合うことは必要なのではないかと思います。
 愛する家族たちが愛する身内を失った哀しみの中にあっても、肉体の一部が今を生きている人間に移植され、その人の命が永らえることができるなら、それをよしとしたいという人がいるならば、法律でそれを縛る権限はないはずです。幼い子どもを失った遺族が、その子の肉体を提供することによって健やかに生きる命があるならば、それを提供したいと望むなら、それを阻む法律をつくる必要がどこにあるのでしょうか。但しそれはあくまでも、本人や家族の意思を尊重してのことです。私たちはこの世に生を預かる人間として、はっきりと拒否する権利も持っているのです。
 WHOはインフルエンザ対策に全力投球し、この問題は来年に持ち越されましたが、海外からの子どもの移植を禁止するよう踏み出そうとしています。国内においても提供者が足りないところに、法律で禁じられているからといって日本から来るのは身勝手過ぎるのではないか、出来うるならば、自国の問題は自国で解決してほしいと思うのは当然のことだと思います。
 今まで日本においては子どもの移植は許されず、何億もかけて渡航して移植してきました。お金も集められず、渡航するだけの期間が待てずに亡くなった子どももいます。そういった人たちに道を拓けたことを私は嬉しく思います。ただ不慮の事故によって子どもを失い、茫然自失している親に、臓器の移植を強引に依頼するような心ない仕打ちはやめてほしいと思います。少なくとも提供を受ける人間も切羽詰っていることはわかりますが、相手の心に配慮することも必要かと思います。
 私たちは命に関わるこの法律がどのような形で現場において実行されていくかをこれから見守り、看過すべきでないことが起こった時は、すみやかにそれ等の問題に対応してきたいと思います。

 第2の案件である選択的夫婦別姓制度については、18年前に結婚した長女は、小さい時から家を継ぐことを義務付けられ、そのために親切まがいのお節介の人たちから、「あなたは養子さんね、自由に恋愛はできないのね」といい続けられ、プレッシャーの中におかれていました。私は「あなたが成長したら、名前は、男でも女でもいいという時代になるから」といい続けてきました。しかし、とうとうそれを果たすことなく結婚いたしました。9年前に結婚した次女は、この法律が出来ることを願い、まだ入籍はしておりません。
 嫌な人は拒否をすればいいのですから、「選択的」なのに何故、これに反対するのか、不思議でなりません。
 同一の姓を名乗らなければ家族が崩壊するという人もいますが、姓を名乗らなければ崩壊するような家族の在り方こそ問題にすべきと考えます。
 日本の大人たちはまだ成熟していないのだ、個の確立が出来ていないのだ、と残念でなりません。

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June 16, 2009

鳩山前大臣の更迭について

 久しぶりにブログを書きます。
 私のブログは平均一週間に一遍。友人曰く「楽しみにブログを開いてみても以前と同じなので、その内、開かなくなってしまう。」気をつけます。

 鳩山さんがとうとう麻生総理に総務大臣を罷免されました。
 麻生総理の支持率は急落しましたが、私はそれを予測しておりましたので仕方がないと思っています。国民の視点からすれば、かんぽの宿、2400億の価値あるものを100億で売却するというのは、やはり納得いかないでしょう。
 自らの主張を貫いた鳩山前総務大臣を「あんなにヒートアップしなくてもいいのに」と言った女性コメンテーターがいましたが、自分が信じたことに関しては損得を乗り越えてヒートアップすることは当然あると思います。
 どちらにしても6月30日の株主総会に、西川社長が続投する、しないに関わらず、国民のお金なのですから、日本郵政はしっかりと国民に納得のいく情報開示をするべきです。国民の目から見れば、かんぽの宿が一企業と癒着していると思われても仕方ありません。少なくとも予算委員会で、納得いく説明は西川社長からありませんでした。私たち政治家に問われることは、いつも国民の視点だと思います。
 だからといって、国民に迎合するつもりはありません。自らが正しいと思うことは、人の意見を聞きながらも、大所高所から一つのものごとを分析し、自らが判断し、それが冷静で私欲ない判断であるならば、一時、国民の批判を受けても、自らの主張を貫きとおすことが必要だと思います。正しいことは、いずれ時代が分かってくれるはずです。
 このことに関しては、鳩山前大臣に賛同します。

 私心ないと云うならば、郵便法違反事件で厚生労働省の村木局長が逮捕されたことは私には大変ショックであり、残念です。
 彼女は私心なく、いつも冷静に一生懸命、与えられた仕事に邁進していました。私が文部科学副大臣として障害者アートの取り組もうと思ったのも、障害者自立支援法の策定に関わっていたその当時の課長だった村木さんと話をしたことも一因でした。敵をつくらない穏やかな性格が、或いは一政治家の依頼、それを受けていた上司の主張を受け入れてしまったのかもしれません。だとしたらとても残念に思います。
 それと同時に、政治家も心しなければならないと思います。有能な前途ある役人の道を曲げた責任を依頼した政治家は取るべきと思います。その当時、村木課長に命じたといわれる、退職した部長は、退職したからと言って問題が解決されたわけはありません。村木局長を逮捕するなら彼もまた逮捕されるべきと私は考えます。職場にあっても、外圧や上司の命令にどうしたら、「No!」と言えるのか。大変難しい問題です。

 そう言えば西川社長は住友銀行・頭取当時、頭取室の部屋に入るのを、部下は緊張し、震えながら入ったといわれています。彼には絶対逆らえなかったとのこと。今も自分が連れてきた部下と強権経営をされたのでは、たまったものではないと私は思っております。

 そんなことを考えていたからでしょうか、昨日は何故か寝つきが悪く、目が冴えて困りました。正義が通る世の中って、本当にあるのでしょうか。青臭いと言われそうですが、60になっても、ふつふつとそんな思いに捉われている今日この頃です。

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June 01, 2009

厚労省の分割・再編に思う

 雨が降り、梅雨入りかと思わせるこの頃です。
 お天気症候群の私は、じめじめとした日が続くと心まで湿ってしまいます。その中でほっと安心し、曇りの中での晴れ間を見た思いがしたのは、突然降って湧いた厚生労働省の分割・再編の話が中断したことです。
 「何故今この時に、とんでもない」と率直に驚き、半ば怒りを禁じえなかったからです。こう言うと、「やはりあなたも族議員の一員か、文部科学省が長かったから」と言われそうです。が、私は教育行政に力を注いできました。だからこそ私が常に見つめているのは、次世代が生きている現在の生活の有り様であり、且つそれに連なる環境整備です。
 族議員は確かに長老の中にはおられるかもしれません。若い人が何かをしようとすると必ず口を挟み、勿体ぶった正論らしき論理で前進を妨げる、それが政治家だと信じている困った人もいることでしょう。
 でも私たち公明党の参院「消費者問題に関する特別委員会」の委員長を務めている草川さんは80歳ですから、年齢から言えば、長老と言えるかもしれません。しかし、後輩に「まだまだ未来は長いよ」と無言で教えて下さっている掛け替えなく大切な先輩なのです。長老とはそういう存在でなくてはならないと思います。

 この問題に私がなぜ反対なのか。それは十年前を思い起こすからです。
 2000年に今までの省庁は、行革の名の下に1府12省庁に統合されたのです。これで本当に良いのか、疑問の数々を抱いている私の傍らを有識者会議の意見があっという間のスピードで通り過ぎ、決定をみてしまいました。
 縦割り行政はいけない、その通りですが、統合して果たして縦割り行政はなくなったのでしょうか。縦割り行政が良くないなら、それを止める方法をもっと真剣に検討すべきです。役所の根強い悪しき体質は、こんな荒っぽい方法をとらなくては何一つ変らないのでしょうか。だとしたら、余りにも情けなさ過ぎます。

 私が省庁再編の際に一番危惧した点は、今、指摘されていることでもあります。
 労働省と厚生省が一体となって命と暮らしに関わる広範囲な問題を、一大臣がどこまで把握できるでしょうか。様々な機能、職種を果たす約5万人の職員を管理することが出来るでしょうか。大いに疑問です。

 私は省庁再編の2001年に新しく設置された大臣政務官になり、文部科学省で3年近く仕事をしました。またその後、同じく新しく設置された副大臣として2年近くを務めましたが、文部省と科学技術庁が再編になり、一緒になったのです。
 文部科学省は、比較的に互いの良い面を吸収し合いながら、融合していったと思います。当然、育った文化は全く異なり、旧文部省の方は、教育行政は日々の積み重なりですから、新しい何かをすることに対しては大変消極的で、何よりも体験を重視します。生徒の命に関わっているだけに冒険はできない文化があるように思います。
 それに対し、科学技術は常に新しいものへの挑戦です。科学は日進月歩であり、新しいものへの好奇心と探究心がなければ進んでいきません。
 そういう意味では全く異なった文化、思想、経験を積み重ねてきた人たちが一緒になることにより、大きな刺激を受け、前進していったのではないかと思います。
 が、私から言わせれば、必ずしも無理に一緒にしなくたって、何の弊害もなかったのではないかと思う点もあります。

 思い起こすのは、1998年に行革の一貫で日本私学振興財団と私立学校教職員共済組合が一緒になり、日本私立学校振興・共済事業団ができました。調べれば調べるほど、何でこれが行革なのか、何で一緒になる必要があるのだろうかという疑問が湧いてきました。確かに役員の数は一人、二人、減りましたが、給与は高い方に並べられるので、かえって経費がかかる、そして仕事内容は、多少の共通点があったとしても、全く異なっています。
 八百屋さんとお肉屋さんが食料品だからと言って、一緒の店舗に集めたようなものです。本来、この二つは同じ事業体でした。しかしながら、内容が全く異なり、分割したほうがより効率的だということで、分割した歴史があるのです。にも関わらず、行革によって、また一緒になりました。

 行革というのは怖いものがあります。
 行革というと、内容を余り知らない人は、その名前だけで、効率的、効果的なものだと思うのです。そういう意味では、あの4年前の郵政民営化、勿論、民営化になったことは正しかったかもしれませんが、看過できない様々な問題を孕んでいることも確かです。根底には国民の感情の中に役所への不信感が根強く、全て国営は良くないと思われているのではないかと危ぶんでいます。
 道路事業など様々な民営化事業も、これから目を皿のようにしてチェックしなければと思います。

 三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長 ・中谷巌さんの近著『資本主義はなぜ自壊したのか~「日本」再生への提言』を読まれましたか?
 中谷巌さんは、言うまでもなく竹中平蔵さんと並び、日本のあらゆる構造を排除し、グローバリゼーションの名の下にアメリカのような市場主義を導入した旗頭で、小渕元首相、小泉元首相のブレーンとして、竹中平蔵・元経済財政政策担当大臣と共に、「米国式市場万能論」の信奉者として、構造改革を強力に推進してきたエコノミストでした。
 しかし近年になって、自身の説について「間違っていた」という懺悔を展開していることで各界が衝撃を受けています。
 小泉政権の政策については、地方の特定郵便局まで民営化して採算重視することへの疑問、派遣切りなどの格差社会をつくった行き過ぎた規制緩和、医師不足、病院崩壊、救急医療難民の増加を生んだ医療制度改革、消費者の安全さえも犠牲にして利益を追求した食品偽装、人との繫がりの欠如を感じさせる無差別殺人などの犯罪等々が、欧米式の市場主義が我が国にはなじまなかった故に発生していることを率直に認めています。
こう書かれているのを読みました。
 「私、中谷巌はいま、これまでの自分の主張が誤りだったと率直に反省しています。1990年代、細川内閣や小渕内閣で首相の諮問機関のメンバーだった私は、規制緩和や市場開放の旗を熱心に振り続けました。そして小渕内閣の「経済戦略会議」議長代理として発した提言は、その後、同会議の委員だった竹中平蔵さんによって引き継がれ、彼が小泉内閣で政策立案の中心人物となったときに、小泉構造改革の一環として実現していきました。小泉構造改革は日本にアメリカ流のグローバル資本主義を持ち込みました。間接的にですが、その改革に参画した私は、小泉・竹中氏同様、日本社会に構造改革を持ち込んだ張本人なのです。しかし、いきすぎた構造改革は日本社会の良き伝統を壊す強烈な副作用を生み出しているように思われます。貧困層の増大、異常犯罪の増加、ぬくもりのある社会の消失などです。「これはいけない」と、私は自らの主張が誤りだったと悔恨の念を持っています。「すべての改革が不要だった」と言っているわけではありません。ただ、改革は人々が幸せになるための手段です。構造改革で日本人は幸せになれたでしょうか? 多くの人々を不幸に陥れてしまう改革は、改革とは呼べないのです。」

 かつて彼の説は新鮮で、私たちの心を掴み、いつの間にか大きな流れをつくりました。それまでの日本は、多くの人が中産階級の意識を持ち、そうした位置にいる自分を甘受し、満足感を持っていたはずです。
 少なくとも、中谷さんはそうした国民の意識や社会の構造を根底から構造改革の名の下に、覆しました。
 学者はその時々に応じて、自由奔放に自分の意見を述べるのが仕事かもしれません。そしてまた、マスコミもそれに乗っかり、彼らの説を増長し、あっという間に格差社会を作り上げました。当然、政治家の責任も大だと思います。

 総理の諮問機関である「経済財政諮問会議」や「規制改革会議」の委員の発言は、果断で、新鮮で斬新で、それに引っ張られて日本はこの数年で大きな変革を遂げました。それを100%私は否定するものではありません。
けれども、この辺で総括が必要なのではないかと思います。
 思い起こせば、戦争時においても、戦争を礼賛していたマスコミや学者が、戦争が終わった途端にコロリと主義主張を変え戦争責任を糾弾した、それらの歴史を見ても、一人ひとりの誤りなき判断が、どれだけ必要かということかを感じさせます。特に政治家は、国民に与える影響を考えた時、常に慎重、果断であるとともに、畏れの気持ちを持たなければならないと思います。

 先ほどの厚労省の分割再編の話の中で、幼保一元化が挙がっていました。
 実は、私は政治家になる前には幼保一元化は必ずやり遂げようと思っていたのです。でも様々な現場を見渡せば、なかなか困難な状況であるということが分かってきました。
 心血を注いで幼稚園、保育所をつくり、子どもたちを送りだしてきた人たちにとっては、一人の子どもを預かるとしても、保育所、幼稚園の長い歴史と文化と形態に、深い愛情と情念を注いできたので、すぐに一緒にというわけにはいかないのです。まずは現場からの大反対がありました。今は両方の先生の免状を持ち、カリキュラムも連携を取りながらやっていますが、なかなか相容れないところがあります。

 幼稚園と保育所が一緒になる前提として認定こども園をつくりました。認定こども園は、就学前の児童に対し、教育、保育を一体的に提供するとともに、地域の子育て支援の場として、都道府県が認定する施設で、親が働いている、いないにかかわらず利用できます。
 しかし、予算をつけましたが、なかなか浸透しないのは、現場における保育所、幼稚園に関わる人の気持ちが、役所が良かれと思って、智慧を絞って創設した制度になかなか馴染まないからだと思います。
 確かに、国から、保育所には約3400億の民間保育所運営費、幼稚園には約200億の幼稚園就園奨励費補助費が払われていますが、それ以外には現場の方々の自助努力によって今日を迎えている時、上から「一元化しましょう、子どもを持った親には利便性がある」と言われても、なかなか納得いかないのが現状ではないでしょうか。
 世の中には、長い歴史とそれに培われてきた人間の生き様がありますから、果断な改革も時には必要でしょうが、そこに生きている人たちの気持ちを大切にしながら、改革していかなければと思う昨今です。

 総理も厚生労働省の分割を断念されたとか。
 これで私もほっとして、美味しいコーヒーをのんびり飲めそうです。

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May 07, 2009

こわいなあ、マスコミって

 久しぶりにブログを書きます。
 連休の真っ只中、ふとブログを書きたくなりました。
 なぜかというと、つまらない週刊誌を見ていたら、公明党の代表代行である浜四津敏子さんについて、秋には月4、5回書いてあったブログが段々減り、3月には無くなったから彼女は体調を崩したのではないか、そして政治家を辞めたいといっている、というような記事が出ていました。
 私はそれを読んで、憤慨して思わず怒りが込み上げてきました。浜四津さんは私にとってかけがえのない大切な友人です。よくお食事をしたりしますが、政治家を辞めたいなどと言った事は一度もありません。彼女はそういうことを絶対口にしない人なのです。ひたむきで、一途で、純粋で、使命と責任が洋服を着ているような人です。
 でも、そういうことが書かれるということは、誰かが意図的に流しているのではないでしょうか。そういえば前にも浜四津さんのことが同じ週刊誌に記事になっていました。これは意図があるとしか思えないと私は思ったのです。だとしたら、本当に恐ろしいことだと戦慄を覚えました。もし、誰かが意図的にその人間を追放したいと思ったら、マスコミにどんどん中傷を書き立てて広めていけばよいのです。政治家はマスコミに弱いのです。マスコミが一つのイメージを作っていきます。それにどうしても国民はマスコミに流されていくきらいがあります。
 だからこそテレビに出たがる政治家もいます。テレビによく出て、お笑い番組にも出て、それで選挙に強い。私にはおかしいとしか思えません。
 でも確かに有権者は政治家の細かい人柄や政策を知る機会も少ないのですから、どうしても知名度の高い人が選ばれてしまうのかもしれません。宮崎の東国原知事、大阪の橋下知事しかりです。でもこの二人はヒットと思っています。
 ですが、そうではない人も沢山いるではありませんか。参議院では全然働いたのを見たことのない有名人もいます。著名だから選んだ。これこそ税金の無駄遣いと思います。

 私も、かつて週刊誌に色々書かれました。
 娘は「ママのこと書いてあったから立ち読みしてきた。私たちが知らない、全然別のママが作られているんだなあ、ビックリした」と言っていました。「あなた、すごいわねえ、立ち読みなんかするの。身内の記事が出ているのに」「だってママ、買ったら相手の思うつぼよ。やっぱり買っちゃ駄目。でもちょっと知りたいから」と娘は言いました。すごい根性です。
 姉は「嘘っぱちの記事だと分かっていても、電車の中の車内広告にあなたが出ているのを眺めて乗っているの、居心地悪いわ」と言っていたこともありました。

 次女は週刊誌に事実無根の記事を書かれ、その週刊誌をすぐに告訴しました。数ヶ月で決着し、もちろん勝訴して朝日新聞には載りましたが、娘曰く「丁度お盆の季節で2週間、全く身に覚えのない記事を書かれ、車内広告に出された私の名誉は、数行の謝罪で挽回するものではないし、ほとんどの新聞には勝訴も載らない。一方的に書かれ損なのよ」と憤っておりました。
 確かにマスコミに書かれるとき、どうやって読者一人ひとりに、そうではないと主張することが出来るのでしょうか。マスコミに対して、無力である個々人の立場を歯がゆくも哀しくも、不条理だと思わずにはいられません。

 期せずして4月28日の読売新聞に、2002年、臨時教師が児童に暴力を振るったと保護者が訴えた事件が、7年経った今、最高裁によって敗訴となり、それは体罰ではなかったと位置づけられた、という記事が載っていました。
 数年前に、新潮社から出た『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』という単行本を読み、私は恐ろしくなりました。
 小学校の児童が先生に暴力を振るわれたと保護者が訴えます。耳を引っ張られたとか、鼻をつままれ、きつく捩られたとか、九州ですから九州の大手の新聞社も書き立てて、東京の中央の新聞社も大きく扱い、マスコミもテレビも週刊誌もどんどん記事にするのです。児童には人権派の弁護士が何人も付き、そして教育委員会もその教師を叱責し、詰問します。
 教師は「私は暴行した覚えはない、その子の腕を取って、注意を促したことはある。その子にお尻を蹴り上げられたとき、その子の胸元を掴んで、そういうことをしては駄目だと注意をしたことはある。でも暴行といわれたら、それも暴行の一種なのだろうか」段々、教師も追い詰められ、謝罪をするのです。
 謝罪したから、それは罪を認めたということで、みんながはやし立て、保護者も地域の人々も、その教師を孤立させます。教師には当然弁護してくれる人もなく、弁護士も、とんでもないということで付かないのです。そして別の地に左遷させられます。
 数年経ち、小学生が中学生になって、小学校のことを静かに思い出すとき、子どもたちの胸の中にもふつふつと、あの先生、そんな暴力していなかったよね、という気持ちが一人ひとりの心の中に芽生えてくるのです。保護者もみんながそのときには魔女狩りをしたけれど、本当にその事実を見たことも、感じたこともなかったと思い至るのです。そして静かにみんなが事実の解明にあたったとき、それは事実とは全く違う、そういう事実がなかったにも関わらず、ある日、大きなうねりの中で、みんながそういうことがあったという錯覚を起こし、騒ぎ立てたという自戒の念に襲われます。
 或いはその中で、暴行はなかったと思う人がいたとしても、狭い地方の田舎町で、そうではないと反論するには大きな勇気がいったのかもしれません。
 でも、次第に地味な主張の中で、その教師の主張を認める人が出て、数人の心ある弁護士が付き、そして徐々にこんがらがった糸を紐解くように解明にと向かったとき、その人の事実が証明されていくのです。
 でも怖いではありませんか。一人の人間をでっち上げること、それに引っ張られる多くの人の手によって一人の人間の7年の歳月が暗黒だった訳です。

 私は誰がそんな記事を流したのか、浜四津さんの記事も犯人探しをしようとは思いません。探したところで分かるはずがありません。でも党のことをちょっと知っている人がその週刊誌に事実無根なことを言っていることだけが事実だとしたら、私もそうされるおそれがある、そんなのって怖すぎる、と憤りと恐怖と、そして胸が塞がれる思いがしました。
 私は浜四津さんが大好きです。彼女は本当に純粋で、真面目で。私が彼女を好きなのは、自分でいうのも何ですが、自分の中にも、純粋でひたむきで一途で無垢なものがあるからなのです。その部分で、私は浜四津さんとすごく呼応します。

 にも関わらず、私はその反極端にある社会の俗っぽいことも、遊びも大好きなのです。真面目だけでは生きられない、ときには遊びもしたい、でも遊びだけでは満足できない困った人種なのです。よく言えば、清濁併せ呑む、酸いも甘いもかみ分けて、でもなかなかそういう言葉では処理できない、まあ並みの人間なのかもしれません。
 若い日に、私をよく理解してくれた年上の友人が「保子さんの面白さは、少女がそのまま大人になったような純粋さがある、無垢なところがある。かと思うと世故に長けている、世俗的なことも、計算なんか全然していないのに、ちゃんと社会の中を泳ぎまわっている。その両極端を妙に併せ持っているのが、そしてバランスが取れているのが、魅力かな」と言ってくれました。
 自己分析するとき、要するに私はどちらの道にも歩めない、中途半端な人生、そして中途半端にしか、社会的にも、能力的にも偉くなれない人間なのだと、この頃つくづく思います。勉強も大好きだけど、勉強だけで一心不乱ということもない、じゃあ遊びで道を究めるか、遊びで道を究めるという言葉があるのかどうか知りませんが、そういうこともできない。
 そして、私は周囲のことが読めてしまう、相手の気持ちを忖度するということが自動的に出来てしまうんです。これは決して幸せなことではありません。むしろ、私は非常に強烈な自我も持っております。周囲を読まないで、時には周囲を読めちゃっても、自我を出すこともあります。主張を強くして、顰蹙をかうこともあるでしょう。でも周囲を読めちゃって、自分の主張を途中で引っ込めるということも多々あるのです。
 党の人は「池坊さんは自分の主張をよくいう、ストレスがたまらないでしょう」と言われそうですが、そんなことはないのです。もっと色々な主張を持っていながら、それを中途半端に押し込めてしまう、それが私の中途半端な人生なのかもしれません。
 相手が今どんな気持ちでいるか、私に対して、今不快だな、いやに思っているな、ウンザリしているな、そんなことが見えちゃう(見えちゃうと思うのももしかしたら思い上がりかもしれませんが)、それが読めちゃうとき、引っ込んでしまうことがよくあるのです。相手がいやがろうが、何しようが、押しの強さでいく(結構そう見えるのですが)、その点が私にはもう一つ欠けていると、自ら不甲斐無く思うことがあります。
 人のことがよく分かりながら、では人に限りなく優しいか、いえ優しくないのは私の自我の強さです。では自我がなかったら、私は木の葉のように河に流されていく、全然何の存在もなく、下流に行き着いてゴミになってしまうでしょう。
 優しさと思いやりとは違うんですね。辞書を引けば、優しさとは素直、大人しい。思いやるというのは相手の心を推し量ること、推量する力と出ています。そうなんです。優しいけど思いやりのない人ってあります。
 娘がまだ幼かったころ、仕事に行くママを、近所のおばさんが言います。「美佳ちゃん、可愛そうね。ママお仕事行って淋しいでしょ」娘は淋しくないと言えば嘘になる、でも仕事に行くママに対して、淋しいと言ったら悪いような気がする。そんな健気さを持っているのです。人には彼女の心のひだまではなかなか計り知れません。
 でも淋しいでしょうと言っているおばさんは決して意地悪で言っているのではないんです。優しいのです。でも、もう一歩、娘の心情を思いやるということがないような気がします。
 生きていくって難しいですね。人間関係って難しいです。

 中途半端にしか生きられない私は、今は長女の由紀の小学校4年生の子とお風呂に入りながら言います。「ヤーママは遅くから政治家になったから、総理にはなれないけど、あなたは女性総理になってちょうだいね」娘の子は「うん、総理か。考えとく」と言っています。次の世代に自分の望みを託する、そして人間の意志はそうやってどんどん受け継がれていくのだと思います。
 そういえば私の母も、静かに見えて、しっかり芯の強い意思を主張する、ここぞというときには目立つ人だったと思います。
 でも、その小学4年生の明日香ちゃん、人の心をよく思いやる子どもだから、思いやり過ぎて、自分の意見を抑え、偉くなれないかもしれません。いえいえ、人の気持ちを思いやり、調和を取りながら、だからこそトップに立てるかもしれません。
 例えばこんなことがありました。私の誕生会を一週間遅れで、子どもたちがホテルのフレンチを食べたいというので行いました。そういうときの主催者はもちろん私なんです。長女の高校3年生の子どもは、そんなの当たり前、来てやっているだけでも幸せと思え、と言いたそうな顔をしながら、でもその日だけはちょっと思いやり深く座っておりました。話が弾み、進学のことで私と娘と高3の息子と意見が分かれ、ちょっと侃々諤々、険悪なムードになりそうになったとき、ちょっとつまらなそうに不快そうに話を聞いていた明日香が、突然「今日はヤーママの誕生会でしょう。そんなお互いがイヤになりそうな話はするのはやめたら、もっと楽しくしたら」と言いました。
 「本当、あなたの言うとおり」と言いながら、その優しさがこれからどんなふうに花開いて、そして社会と結びついていくのか、よい人間関係を築いていくのか、期待を込めて愛おしく思いました。

 私にとって大切な友人、浜四津さん。彼女は私たち公明党にとって、かけがえのない余人をもってかえがたい人なのです。人の悪口は絶対言わない、そんな彼女の素晴らしさ、みんな気づいているけれど、一人でも多くの知らない人に教えなくては、そう思いながら、ほっとして眠りに入りました。

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April 14, 2009

新・経済対策

 また久しぶりにブログを書きます。
 15兆の経済危機対策は4月10日に政府案が決まりました。経済対策に何を盛り込むかで、私たちも与党の一員としての責任があるので、それまでずっと朝8時から審議を重ねてきました。
 15兆というと気が遠くなるようなお金ではありますが、未曾有の経済不況の中にあって1億2千万の生活を確保する為には必要な金額だと思います。
 この経済が再び軌道に乗ったならば、日本は活力ある国なのですから必ずそれを取り戻すことが出来ると信じています。

 オバマさんは、環境エネルギー、医療、教育といいました。私共もエネルギー、環境問題で、特に電気自動車などの環境対応車や、太陽光発電などに力を注いでおりますが、私は文部科学に携わっている人間として、親の不況によって授業料が払えなく、中退をせざるを得ない、卒業証書がもらえないという子ども達の授業料減免、あるいは奨学金制度の拡充等々に力を注ぎました。
 「何で生徒の授業料減免が経済対策なの、バカなことを言っている」と思われるようですが冗談じゃありません。麻生総理もこの新たなる経済対策の補正予算においては、単年度だけではなくて多年度にわたること、つまりそれはその場限りの一時しのぎではなくて中期的にこの経済復興を成し遂げられるようにという視点ですから、人材確保、そして育成というのは何よりも必須な経済対策と思います。
 貧困の世代間連鎖を塞げなければ真の日本の発展はありえないのです。親が貧困である為に、子ども達が学業が続けられず中退する。この不況ですから、なおのこと就職が大変である時に、その子たちにつつがなく卒業をさせてあげるのは先を歩む人間のひとつの役割と私には思えます。
 経済対策は人々の生活にかかってきますから、内閣府のもと財務省も出席してこの経済対策の細やかな説明があったとき、侃侃諤々、私たちの中にもいろんな意見が出ました。
 特に役人は理想を掲げそれを目標にしていろんな予算を立てればいいのですが、私たちは直接国民と関わっていますから、一人一人の生活を見つめながら、ここにはもっと拡充しなければいけないとか、これははたして必要なのかとか、様々な問題提起が行われ激しい意見交換もありました。
 特に純粋でひたむきな若手議員達は血気盛んに役人に詰め寄る場もあり、私はそれは当然と思いながら、役人達も昨日は寝ないで細やかな数字を作ったんだろうと思いを馳せるとき(私はすぐに相手のことがわかってしまうので、これは私の欠点でもあり、私が強く党で自らの主張できないところでもあると思っていますが)、そこまで言わなくていいのにと思いながら、これこそ民主主義と思っていたところ、坂口元厚労大臣が冷静に静かにそして毅然と一歩も引かないという感じで「これはおかしいから取消してください」と言われたとき、さすが伊達に年は取っていない(申し訳ございません、失礼しました)と思いました。
 それは毅然としながらも、決して怒鳴ったりすることにない強い態度表明でした。他党では、本当に怒鳴ったりする人も多いそうですが、私は政治家はどうして役人にそんなに偉そうに言うのか、役人を呼びつけたとか、怒鳴りつけたとかそういうことが解せません。政治家と役人とが手を取り合いながら良い日本を作り上げていったらいいのにと、まあ役所にいた期間が長かったからそんなことを思うのかもしれませんが、そんなことを感じちょっと胸を痛めたりもしました。
 特に「省庁出身の政治家は、かえって役人に厳しいのだ、あの人だけは許せない」と言った現役の役人がいました。
 例えば民主党でも、役人が廊下に40分も50分も役人が立っています。「あなた方何をしているの?」「いや待っているんです」「じゃあ椅子ぐらい置いてもらいなさい。それにあなた方の費用対効果を考えたらただ黙って廊下に立たされているのでもあるまいし、この時間にいろんなことが出来るじゃないの、勿体無い」と私は言いましたけど、こんな若手の民主党が政権を取ったらどうなるのでしょうか。少なくとも政治家は役人に対して、役人に威張るのではなくて、共にという気持ちを持つべきだと思います。
 役人にも自分の省を守ろうとか、あるいはすぐ言い訳がましく言って、なんで自分達の権益を守るのかと、私もムッとすることもあり、厳しくそれを正すこともあります。
 役所もこのままではいけません。天下りや無駄な仕事をしてることが多く、それは正さなければいけないと思っています。役人もただ政治家に怒られないようにとだけ気を使ったら、将来のことを考えずに、もっと安易な法律が出来上がっていくかもしれませんから、志のある役人をしっかりと私たちが支え、そしてその智慧、頭脳を取り上げていくことが必要かと思っています。
 でもどちらにしてもつくづくと若い世代だけではダメ、やはり一つの組織というのは女性も男性も、そしてそれぞれの主義主張を持った、あるいは価値観、主義主張を持った世代間が異なる人たちが議論しあうのが良いということをつくづく感じた数時間でした。

 文化芸術においては、1億円のそれぞれ自由に使えるお金が出されます。例えば京都だったら祇園祭、緞帳が汚くなったのを修理するとか、あるいは新しいお祭りを作るとか、地域にある伝統文化を育てるとか、様々な叡智を出し合いながら、地域の活性化に生かしてほしいと思っています。

 経済対策、これを実りあるものにしていくのはそれぞれのそこに生きている地域の方たちの力ではないか、創意と工夫が問われる経済対策というふうに思いました。

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March 27, 2009

久しぶりのブログ

 久しぶりにブログを書きます。
 私は本当に反復継続が弱い人間のようです。ブログも前回からどれだけの日が経ったのか数え切れないほどです。そもそも集中して何かをやるのは得意ですが、コツコツとやるのは向いていないようです。ものを書いても、書くときは一心不乱に書くのですが、校正が大嫌いときています。校正を見ていると、本当に自分がこんなことを書いたのかしら、と思うこともよくあります。
 熱しやすく冷めやすい。
 議員会館の地下にちょっと体操をする場があって、歩かなければと体操に通っていましたが今はぷっつりとやめました。三日坊主とはよく言ったものだと思います。
 水泳然り、テニス然り、最初は熱中して会員になるのに、その後はぷっつりと音沙汰無し。ブログも一度書き出すと一日何回も書きたいのに、書かないと空白の時が流れます。

 一つには政治活動が大変忙しかったということがあります。予算委員になり、朝9時から夕方5時まで、時には6時までずっと審議で席に座りっぱなしでした。
 私も2回、麻生総理に質問をしました。予算委員会は国会の最高機関、麻生総理をはじめとして全閣僚が出席して、そこで自分が問題提起したことに対して大臣を指名できるのですから、こんな議員冥利に尽きることはありません。私は尊敬している与謝野金融・経済財政大臣に質問することが多かったです。また中川前財務大臣のもうろう会見の際には、麻生総理に対し国民の視点から柔らかい口調ながら厳しく追求し、新聞に「与党も批判」と書かれたりしました。

 私は常に国民の視点、国民感覚を持ち続けていきたいと思います。いつの間にか政治生活が長くなると、国民感覚から乖離していると思う人に多く出会います。慣れの恐ろしさです。世阿弥の「初心忘るべからず」この原点を忘れてはならないと思います。
 今日も文部科学委員会で質問しました。幸せなことに、公明党は人数が少ないので、毎回の委員会ごとに質問できます。今日のテーマは特別支援教育、文化芸術で経済対策を、ということでした。
 大人数の自民党では1年に1回しか質問できないようで、毎週質問できる自分もこれまた議員冥利に尽きると思っています。

 議員は法律をつくるのが仕事です。でも法律は人々の生活に多大な影響を与えるのですから、時には戦慄にも似た恐れを抱くこともあります。私たちがつくった法律によって一人ひとりの生活に多大な影響を与え、暮らしも変わっていくことに思いを馳せる時、大きな使命感を持っています。
 いつも勉強に追われている日々、でもそれは私にとってかけがえの無く、充実した光り輝く日々です。
 正直言ってブログを書いている暇がないのが実情ですが、今日を機にこまめにブログも書きたいと思います。読んで下さい。

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February 25, 2009

鳩山大臣に質問しました


 2月19日、予算委員会の分科会で、地方分権について鳩山邦夫総務大臣・内閣府特命担当大臣(地方分権改革)に質問しました。
 掲載しますので、ご一読下さい。


平成21年2月19日 衆議院予算第二分科会 議事録(未定稿)

※本議事録は未定稿ですので、ご了承下さい。

○石田主査
 この際、分科員各位に申し上げます。
 質疑の持ち時間はこれを厳守され、議事進行に御協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
 なお、政府当局におかれましては、質疑時間が限られておりますので、答弁は簡潔明瞭にお願いいたします。
 これより質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、これを許します。池坊保子君。

○池坊分科員
 公明党の池坊保子でございます。
 鳩山大臣の所管は広範囲にわたられるので、大変お忙しい中、でも、私は、お役所の筋書きどおりの答弁ではなくて、いつも国民の視点に立って大臣は御答弁いただいているのを、深く、時に感動しながら伺っておりますので、御無理を申し上げて、ぜひ大臣の御答弁をいただきたいと、この時間になりました。
 きょうは、地方分権の中で、特に今、経済の大恐慌を受けて、大変な思いの中対応しておりますハローワーク並びに雇用均等室について、大臣のお考えを伺いたいと思います。
 小泉元総理のもとで、地方分権ということが、三位一体の言葉とともに言われてまいりました。地方でできることは地方で、もう国がすべてやるべきではないという理念は、私も賛成でございます。
 しかしながら、国がしなければならないこともあるんじゃないか。外交、防衛、福祉、医療、教育などなどだと思います。そしてまた、地方だけに任せていたら地方格差が出てまいります。そのすき間を埋めるセーフティーネットを国はしっかりとしていくべきだと思いますが、大臣は地方分権に対してどのような理念をお持ちか、お伺いしたいと存じます。

○鳩山国務大臣
 基本的には池坊先生と同じ考え方でございまして、地方分権というものは大胆に進めていかなければなりませんが、かといって、何でもかんでも地方にやらせればいいというものではないと思います。
 例えば、フランスでは、義務教育というものに関しては、比較的中央集権的色彩の強い国だとは思いますが、国家が完全に責任を持っております。我が国は義務教育においても地方分権が進んでおりますけれども、私の知っている情報に間違いがなければ、フランスにおける義務教育諸学校、公立の諸学校の教員は国家公務員だと聞いております。
 そういう考え方もあるんだろうと。つまり、教育というものは一番大事だから、地方に任せておけない、地方によって教育の理念等が違ってはおかしいから全部国でやるんだというのがフランス方式であるとするならば、そういう考え方もあるんだなという参考にはなる、そう考えております。
 地方分権改革推進委員会からの二次勧告を受けて、これで工程表をつくっていく仕事を私がしなければなりませんけれども、本当に地方に任せるべき点は何であるのか。というよりも、今先生おっしゃったように、国が責任を果たすべき点はどこにあるのか。それは、外交、安全保障、司法だけではないだろう、そう思いながら、やはり一つ一つ具体的に検証していく必要があると考えております。

○池坊分科員
 その御答弁を伺って、ちょっと安堵いたしました。
 数年前に義務教育国庫負担について、つまり、公立学校の先生方の給与はどこが負担するのか、国じゃなくて地方に全部よこせというときにも、私は、強い信念を持って、国がかかわるべきではないかと、これを堅持することに力を注いでまいりました。
 総理はさきの施政方針演説の冒頭に、目指すべき社会の中で、今、政府に求められる役割の一つは、公平で透明なルールをつくることであり、また、皆が参加できる社会をつくること、さらに、高齢者、障害者や女性も働きやすい社会、努力が報われる社会をつくることが重要ですと表明されております。政府は小さければよいということではなくて、社会の安全網を、信頼に足る、安定したものにしなければならないというふうにも述べていらっしゃるんです。
 しかしながら、二〇〇八年十二月八日の地方分権改革推進委員会による第二次勧告において、国の出先機関の見直しについて勧告しておりますが、厚生労働省の出先機関である都道府県労働局については、「現行の組織を廃止して、ブロック機関に集約し、地方厚生局と統合する。」こととしております。
 この勧告がそのまま実施されますと、現在、都道府県に労働局というのは一つずつでございますから、大臣、四十七あるんですね。ところが、ブロック化されるというと、七つとか八つになってしまいます。
 労働局の下に第一線機関として、労働基準監督署とハローワークがございます。これを維持していけば国民は困らないと思われるかもしれませんけれども、大臣、労働局の中には、大変な業務をいたしております雇用均等室という組織がございます。これは何をしているかといいますと、男女雇用機会均等法や育児・介護休業法などに関する相談や、企業に対する指導を直接行っているんですね。それからまた、雇用均等室では、都道府県単位で決められております最低賃金の改定を行うために、地元の労使団体と調整したり、違法派遣の指導をしたり、地元の自治体と連携して雇用対策をつくるという仕事もしております。それからまた、働く女性たちのさまざまな相談も受けております。
 私は、都道府県に一つしかないということも問題ではないかと今まで思っておりましたのに、これがブロック化されたらどうなるのだろうかと懸念を持つものなんです。
 最低賃金の改定を行うといっても、私が住んでおります近畿は大体まとまりがいいですけれども、例えば富山の最低賃金を決めるのに、経済状態も雇用情勢も全く違う名古屋にあるブロック局でその地域に密着した議論をしろといっても、それはできるわけがないと思うんですね。
 現在は雇用情勢が大変厳しくて、機動的に雇用対策を打って難局を乗り切らなければならないと思います。地方自治体と労働局との一層の連携が求められますが、そうした連携が図られるのだろうかなどと心配いたしておりますが、今の私の説明をお聞きになって、大臣は率直にどのように思われますか。

○鳩山国務大臣
 地方分権改革推進委員会から第二次勧告が出て、これは国の義務づけ、枠づけの問題もありますけれども、やはり、出先機関の改革というんでしょうか、出先機関の整理をする、そして、国と地方の役割分担を変えていくというこの大きな仕事が与えられて、今、工程表づくりをいたしておるわけでございます。
 その中で、恐らくさまざまな反対意見が寄せられるとは思いますけれども、例えば、いわゆる地方整備局、北海道開発局、あるいは地方農政局等がございまして、河川とか道路のような、トンカチ関係というとあれでしょうが、そうした事柄に関しては、私は、大胆に権限を地方に移していく、出先機関も今までと違った形にしていくべきだと正直に思います。
 問題は、池坊先生がおっしゃり、また御心配されておられるような、人間に直接かかわる部分については、やはりそう簡単に割り切っていけるものではないだろうと思っております。
 そういう中で、厚生労働省という役所があります。もちろん、厚生省と労働省が一緒になってできたわけですが、地方厚生局というのがブロック機関である。都道府県労働局は、御承知のように四十七あるわけですが、これもブロック化して、これを合体して厚生労働局にしたらどうかというふうな基本的な考え方のもとで作業はいたします。いたしますが、そのことが、今池坊先生がおっしゃっているような、ハローワークやあるいは雇用均等室の機能が大幅に損なわれるようなことは絶対あってはいけない。組織としてはブロック化の方向を考えても、機能は完全な形で残さなければならないというふうな発想をしたらどうかというのが現在の考え方でございます。
 多分、今先生がおっしゃった、最低賃金の話をされましたけれども、雇用均等室というのは、ほかでは全く相談できない、唯一の窓口なんだろう。
 これが、都道府県単位のものが消えてしまって、富山の方が名古屋へ行くというのは確かに問題がありますから、ハローワークとか雇用均等室というものは、あくまでもきめ細かく残すという形での再編を考えるべきかと存じます。

○池坊分科員
 大変心強い御答弁をいただいてうれしゅうございますが、例えば、今、マスコミに、年末年始問題になりました派遣村、ほとんど女性はいなかったと思います。それは何も、雇用を打ち切られて生活に困らないから来ていないのではないんですね。子供を抱えて、乳飲み子を抱えて派遣村には行けないというのが女性の現状なんです。
 今、今年度末には十四万二千人の非正規雇用の女性たちが失職するのではないかと言われております。女性の大多数は、半分以上、非正規雇用なんですね。こういう人たちが一番この不況のあおりを受けるわけです。労働局がブロック化となった場合に、特に問題になりますのは、今申し上げた雇用均等室です。今でも現場を歩いておりますと、働く女性からの悲鳴に似た訴えとか要望が聞こえてまいります。雇用均等室というのは、先ほども申し上げましたさまざまなことをやっているとともに、女性の権利を守るための唯一の機関なんです。これは地方だからといって格差があってはならない、やはり国で全部女性の権利は認められなければならないと思いますけれども、セクシュアルハラスメントに悩む女性とか、妊娠したらやめなさいと言われた、あるいは、育児休暇をとろうとしたらその場で解雇されたというような例がたくさんあるんですね。
 鹿児島で妊娠してやめろと言われた女性が、大きなおなかを抱えて、交通費を負担して、福岡に行けと言われても、現実には行けないんですよ。
 どうしてこういうような勧告が出るのか、余りにも現場と乖離しているのではないかというふうに私は思えてなりません。
 労働局をブロック化する、そのときに雇用均等室もするということは、今、きめ細やかにというふうにお答えいただいたので、ちょっと安心しながら現状をお話し申し上げましたけれども、もしも労働局をブロック化するならば、雇用均等室は知事室に置くとか、そういういろいろな工夫があると思いますので、このブロック化に対してちょっと御答弁をいただきたいと思います。

○鳩山国務大臣
 今、先生、知事のところに置くというお話をされました。それは一つのお考えで、四十七人知事さんがおられる、その知事部局のところに例えば雇用均等室のようなものを置くとすれば、これはいわば国から都道府県への事務事業あるいは権限の移管ということになる。そういうやり方もこれからは十二分に考えなくてはいけない。
 ただ、とりあえず、とりあえずというのは変ですが、ブロック化しても、先ほどから先生が示されている御懸念、御心配がないようにする。つまり、妊娠した鹿児島の女性が福岡に行かないで地元鹿児島で相談に行けるというこの機能はぜひ残したいと思っておりまして、その場合は、例えば、ハローワークはかなり数がありますから、ハローワークの中にそれを併設するというような形で、機能だけは残さなければならない。機能というか、雇用均等室がやっている仕事は四十七都道府県に存在するようにしなければならないと、先生のお話を聞いてつくづくそう思いましたので、そういう形で指導をしていきたいと思います。

○池坊分科員
 大変ありがとうございます。多くの働く女性たちがこれで安心できるのではないかと思います。
 知事室に置きますときにも、地方交付税でこれが手配いたされますと、本当は使われないということもございますので、やはり私は、国の目が行き届くということが、地方格差を呼ばないために、これはセーフティーネットとして必要なのではないかと思います。
 それと、もう一つ。雇用均等室に寄せられる相談というのは年々増加しておりまして、昨年度は相談が約三万件ございました。(鳩山国務大臣「三万も」と呼ぶ)そうなんですよ。これは、労働者からの相談が増加しておりまして、事業主からの相談も三分の一あるんですね。だから、三分の二は労働者からですけれども、事業主も、こういうときどうしたらいいのかというのがわからない場合があるわけです。
 それはなぜかというと、やはり女性は男性には理解できないさまざまな問題も抱えている。それは、妊娠、出産だったり、子育てをしながら、それから母子家庭で働いている方々もいらっしゃいます。今までは、専門家とか経験者という、専門の訓練を受けた人、経験に富んだ職員がデリケートな問題に対して対応してきました。ですから、これもぜひそのようにしていただけたらと思いますが、ちょっと大臣のお考えを伺いたいと思います。
 医療においても、女性専門外来というのを公明党が頑張ってつくりました。これは、女性は男性とはまた別のさまざまな問題を抱えているので、別の外来診療が必要ではないかということなんですね。
 これもそういう問題を含んでいると思いますので、こういう専門家の手配、今までどおりそういうことにも配慮していただけたらと思います。

○鳩山国務大臣
 全くおっしゃるとおりだと思います。
 これは、麻生総理と分権改革推進委員長との会談に、私、立ち会ったわけですね。お二人とも企業経営者あるいは現職の企業経営者なんですが、私、お二人の話し合いを聞いていて非常に参考になりましたのは、およそ組織を動かすときには人が動くことになる、つまり、人の動きというのはとても重要で、数さえ合えばいいというやり方をすれば絶対失敗をするんだ、適材適所ということによほど気を配ってやらないとうまくいかないということをお二人で話し合っておるのを聞いたわけでございます。
 そういう意味でいえば、これから地方分権改革の中で出先機関の改革をやる、例えば都道府県労働局の形も変わる。そういう中で先生のお話を承っておりますと、雇用均等室のようなところは、それに見合った方が応対しなければ多分全く何もできないでしょうね。急に河川工事の担当だった人が雇用均等室にやってきたとしたら、絶対対応できない。
 そう思いますと、先ほどから申し上げておりますように、特に人間を扱う部署についてはきめ細かく配置をしなければならないと申し上げましたが、例えば人間の配置というんでしょうか、そうした能力を持った、相談にきちんと応じられる方がその場所に存在するということは、大いに気を配っていかなければならないテーマだと認識しています。

○池坊分科員
 大臣がおっしゃるように、たとえ部屋がございましても、そこに相談を受けてきっちりと答えられる専門家がいないと、ただあるということだけでは何の役にも立たない、大臣がおっしゃるとおりだと思います。
 今大臣がおっしゃいましたように、地方分権改革推進委員会というのが開かれて、これがいつも勧告をしております。この勧告も第二次勧告なんですが。
 でも、私は、この委員会の存在そのもののあり方というか、委員会というのはどれだけ大切なのか、そして、その選考の方法についてもちょっと大臣のお考えを伺いたいんですね。
 と申し上げますのは、今もおっしゃいましたように、経営者の方が多かったり、あるいは学者の方が多かったりしております。この審議委員は行革優先、効率優先の専門家ばかりで、それぞれの方々がそれぞれの自分の政策の分野で、効率的に、より合理的にというふうな意見を出していらっしゃいます。私は、国民の安心、安全を守るためのセーフティーネットというのが、そういう方々によって進められていくと、だんだん薄くなっていくのではないかなという気がしております。
 よく、広い視野の人たちの意見を聞きたいからこの審議委員会というのがあるというふうにおっしゃいます。私は、いろいろな方々の意見を聞くことは大変いいことだというふうには思いますが、現場の声を一番よく聞いているのは、選挙によって選ばれた政治家ではないかと私は思うんですね。答申なり勧告なりを私たちが聞くことは、謙虚に耳を傾けることは必要かと思いますが、いつも政治主導ということが言われてまいります。最終的には、その方向性は必ずその場の担当の政治家がお決めいただきたいというふうに私は強く願っております。
 この審議委員の選考それからあり方について、大臣はどのようにお考えでいらっしゃいますか。
 個人の御意見で結構でございます。

○鳩山国務大臣
 私、昔、文部大臣もいたしましたが、その前に文部政務次官というのをいたしておりまして、若干お酒を飲んだときだったかと思いますが、別に公の席ではありませんが、よく役人等に言ったのは、当時、臨教審がありました。
 臨教審が神様だったら、文部官僚は要らないし、おれたち国会議員だって要らないじゃないかとすごんだことがあるわけです。臨教審の先生方にはすごく立派に審議していただいているわけです。それは尊重しなければならないけれども、それがすべてだったら、役所も議員も要らないということになってしまうというふうに思うことは正直ございます。
 ですから、地方分権改革推進委員会についても、立派な方々に御審議いただいて、私は文句を言える立場には全くありませんけれども、先生のおっしゃるような意味合いは十分、我々は考えていかなければならないと思います。
 ただ、この地方分権改革推進委員会は、政府に勧告をするという第三者機関でございますから、そこに政治家を入れるというのはちょっと無理があるかなというふうに思うわけです。ただ、これは国会同意人事でございますから、一応衆参両院が認めた委員会の委員ということになります。
 そして、結局、委員会の勧告を受けてこれから工程表をつくっていく場合に、私も与党の人間でございますから、公明党、自民党の皆様方の御意見というのをよく調整させて、承っていく。そして、実際にそれを政策にしていく場合には、国会という場を通して法律ができ上がっていかなくちゃならない、こういうことでございますので、政治主導という意味でおっしゃるならば、政治の判断がこれからは地方分権改革にもどんどん入ってくるものだと思っております。

○池坊分科員
 お酒を飲みながらとおっしゃいましたのは個人の意見として伺い、あとはしっかり大臣の御答弁として伺わせていただきますが、私も文部科学副大臣を三期いたしまして、中教審ですべて決まるのはおかしいといつもいつも申しておりましたので、実は、委員会のあり方とかいうことを伺いましたのは、私自身の常に思っておりますことを質問させていただきました。
 時間が参りましたので、最後に一つだけ、国直轄事業の負担金についてお伺いしたいと思うんです。
 二月十二日の本会議で、鳩山大臣は、国直轄事業の負担金について、今まで、国と地方を通じた役割分担あるいは財政状況の中で、地方に三割とか三分の一の負担を負わせるということが起きているけれども、これは国と地方の権限配分の問題としても根本から考え直していかなければならない事柄であると言っていらっしゃいます。
 主として公共工事、国土交通省にかかわることが多いのですけれども、私の地元である大阪では、橋下知事が、関西空港の連絡橋道路の国有化事業で、巨額の負債を抱えた関空会社の財務改善策を国が示さない限り、大阪府は来年度に負担予定の七億円を当初予算案に計上しないということを発表されました。また、国道や一級河川などの整備費用のうち、法律で地方自治体に負担が義務づけられている国直轄事業負担金の一部を来年度予算案に計上しない方針も発表され、事業ごとに最大で約二割削減する。これは大阪府民が大変拍手喝采しているんですね。
 御存じのように、大阪というのは大変な赤字を抱えております。橋下知事は府民の絶大なる信頼も受けて、大幅な改革を強引とも言われる手法でしておりますが、それでも、未来のことを考えるならば、子供たちに負担を負わせてはいけないとみんなそれに賛同しているわけです。私は、これからの時代は、国と地方がきちんと協議し、ただ三分の一とかという負担を負わせるのではなくて、事業内容を精査し、行う事業、行わない事業を峻別して負担の割合を決めていくべきではないかと考えておりますが、大臣はどのようにお考えでいらっしゃいますか。

○鳩山国務大臣
 今後の地方分権を考える上で、やはりこの直轄事業の地元負担の問題というのは避けて通れないと思います。
 一つは、これは国交省あたりと話し合うと相当厳しいものになると思いますが、やはり直轄事業というのは限定すべきだと思うんですね。全国的に見て必要だ、全国的な見地から絶対必要だという基礎的な広域的な事業のみを直轄事業とするということが大事だろう。直轄事業は減らすべきだと基本的に思っています。だから、河川とか道路については徹底して見直さなければならないと思っております。
 その場合に、本来ならば、直轄事業は国が全部やるわけですから、国が全部負担をするというのが筋なんだろう。ただ、地域に及ぼす便益があるから地方公共団体にも応分の負担を求めているのが現状だと思ってはおります。
 問題は、地方が行う事業、例えば補助国道なんかその典型ですけれども、これは、つくるときは国もお金を出して、地方もお金を出して補助国道はできますけれども、維持管理は、国は一円も出さなくて、地方が全部負担するわけですね。だから、この直轄国道というか、もちろん国道以外もいろいろありますが、直轄事業の場合は、維持管理を全部国がやればいいのに、維持管理まで地方に十分の四・五を求めるというようなやり方がある。そういう意味で、直轄事業がやはり地方にとって負担になるという問題がございますので、これは、地方分権の本質の問題としてこれから見直さなくちゃいけないとつくづく思っております。
 大阪の件も、御主張はよくわかるわけですが、結局、例えば大阪の道路に関していえば、カットされれば、やはりその分、事業の進行がおくれるというふうな形になってしまうのはやむを得ないのかな、こう思っておりますが。この問題は、私は、地方分権とか国と地方の役割分担のかなり本質の部分だと思って、これから中長期的な課題としては大課題だと思っております。

○池坊分科員
 時間が参りました。
 時代はどんどんと急速に流れております。国民の意識も高まってきております。役所も、ただ守るだけでなくて、その時代の流れとともに変わっていかなければならないと思います。
 私は、大臣は、かんぽの宿に象徴されるように、おかしいということに対しては国民の目線に立って切り込んでいただきますので、大変に御信頼申し上げておりますので、これからも地方分権に、正しい地方分権のあり方を追求しながら、進んでいっていただきとうございます。
 きょうはありがとうございました。

○石田主査
 これにて池坊保子君の質疑は終了いたしました。

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February 20, 2009

麻生内閣の方針を問う

 2月18日の中川財務大臣の辞任を受け、2月19日の予算委員会で「麻生内閣の方針」をテーマに委員会が設けられました。
 私も20分間、総理と与謝野財務大臣に質問をしました。私は政府与党の一翼を担っていますから、舌鋒鋭く追求できない複雑さがあります。
 政府を全力で支えたい思いは強いですが、中川大臣の態度は情けなく、言葉が出ません。
 質問の議事録を載せます。


平成21年2月19日 衆議院予算委員会 議事録(未定稿)

※本議事録は未定稿ですので、ご了承下さい。

○衛藤委員長
これにて小島敏男君の質疑は終了いたしました。
次に、池坊保子君。

○池坊委員
 皆様おはようございます。公明党の池坊保子でございます。
 私は、先日の中川前財務大臣の辞任について、麻生総理に質問をさせていただきたいと思います。
 私たち公明党は、十年前に自民党と連立を組み、二人三脚でやってまいりました。連立を組むということは、私は、結婚のようなものではないかと思います。時にむっとすることがあったとしても、相手のいい面を見詰め合って、喜びや悲しみを分かち合い、助け合い、励まし合い、そして、時に夫が溝に落ちたらしっかり者の妻が手を差し伸べ、引き上げ、そしてともに歩んでいく。さまざまな問題を英知を出し合って解決していく。その過程の中で、私は、信頼や愛情のきずなが深まっていくのではないかと思います。
 でも、正直言いまして、私は、先日、その連立を組んでいる人間の一員としてではなく、その以前に一政治家として、一国民として、大変恥ずかしく、悲しい思いをいたしました。
 テレビをつけましたら、突然、中川前大臣のもうろうとした会見が目に入り、一体これは何なんだろうかと思っておりますうちに、いろいろと何度も何度もそれが流れました。私が残念に思いましたのは、日本のみならず、全世界にそれが発信されたということなのです。
 昨日の新聞、いろいろと目を通しましたら、先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議の開催地であった、問題の震源地であるローマで、主要メディアが中川氏辞任を一斉に速報しておりました。主要紙では、政治統治能力が失われた今の日本を象徴している、あるいはまた、日本人は常に真剣、清廉、厳格だというイメージが崩壊したと。
 ニューヨーク・タイムズ紙では、アメリカのガイトナー財務長官は投資家を奮い立たせるスピーチができないと批判されているが、だれも彼を酔っぱらっていると非難しなかったとして、G7後の記者会見の映像を見れば、だれもが酔っぱらい大臣と結論づけるだろうと指摘しております。
 イギリスのフィナンシャル・タイムズは、中川氏がローマの記者会見で見せた失態は、国際金融危機に効果的に対応できない世界第二の経済大国の無力ぶりを暗示したと酷評しております。
 そして中国でも、十七日付の北京晨報は、日本の財務相が酒に酔ってG7にと大きな見出しで報じたそうです。
 私が残念に思いますことは、能力もさることながら、問題は、その態度、振る舞いであったのではないかと思います。つるべ落としに景気が悪化していく中であって、ばたばたと中小企業が倒産し、失業者もふえ、あす食べることにも事欠いている人が多く出ている現在の不況の中で、せっかく、経済対策を担当する大臣が出席なさって、先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議が財政出動しようねということで一致した、こんな大切な会議だった。そして、その会議は無事に終了した。それなのに、その後の記者会見でこのような醜態を演じるということは、残念というとともに前代未聞なのではないかと思います。
 体調が悪かった、風邪薬の飲み過ぎだったといろいろなことが言われておりますが、私は、重要なポストにいらっしゃる方のリーダーとしての条件の中に、やはり危機管理能力、自己管理があるのではないかと思います。
 何度も申し上げるようですが、私が残念に思ったのは、一国の問題ということではなくて、全世界に日本という国を印象づけたという点で私は極めて残念に思います。イタリアのジョルナレ紙が、さっき申し上げましたように、日本人は常に真剣、清廉、厳格、そういうイメージが崩壊したと。
 私は、総理もそうでいらっしゃると思いますが、日本をこよなく愛しております。そして、世界の人々が日本人に愛情と信頼と尊敬を持ってほしい、そう願っております。私は、その日本人のすばらしい人格や振る舞いが損なわれたということに大きな懸念と悲しさを感じております。日本は、経済大国第二位だけでなく、長い歴史や文化や芸術を有しているすばらしい国なのよといつも世界にアピールしている立場の人間として悲しく思っておりますが、麻生総理は今回の事件をどのようにとらえていらっしゃるかをちょっとお伺いしたいと存じます。

○麻生内閣総理大臣
 今、いろいろ例を引かれてありましたように、中川前財務大臣、自身の健康管理の不十分というのが、総合的な判断はそういうことになるんだと思いますが、辞任することとなりました。
 平成二十年度の第二次予算法案の関連法案並びに平成二十一年度の予算案の審議中において、担当大臣であります財務大臣という立場の人が交代ということになりましたものは、大変申しわけないと思っております。
 また同時に、今、海外にそういったイメージを与える結果になってしまったこと、会議自体はともかく、その終わった後の記者会見においての態度というものが、結果として世界的にいろいろな不安なり不信なりというのを招いたということは、まことに申しわけなかったと思っております。

○池坊委員
 そして、この問題でちょっと残念に思いましたことは、事後処理をもうちょっと迅速にしていただいたらよかったのではないかなという気がいたします。
 私の父は、よく、失敗を重ねます私に、人間は失敗することもある、大切なのは、それを受けとめ、どうそこから立ち上がっていくか、その対応の仕方だというふうに私をいさめておりました。
 中川前大臣の辞任はやむを得ないとすべての人が思ったのではないかと私は思います。予算案と関連法案の衆院通過後の辞任というのは、政府を代表して答弁なさるのですから、やめる大臣に答弁してもらってもと国民が思ったのも私はちょっとわかるなという気がいたします。
 でも、だからといって、野党の方が昨日委員会を欠席なさったことを、私は決して容認するものではございません。やはり……(発言する者あり)
 今、やじに答えることはないのですが、野党の方にしっかりと私はこの際申し上げておかなければならないと思います。政権与党になりたい、なりたいとおっしゃるならば、まず自分の身をしっかりと、今、何をなすべきかということを考えるべきと私は思います。
 経済対策を待ちわびている人にとって、一日が大変長いのです。予算通過をどれだけ待ちわびていらっしゃる方がいるか、そのことに思いをはせなければいけないと思います。そして、私どものやるべき仕事は、やはりこの委員会に出席することだと思います。仕事をサボタージュしてはならないと思います。人間、嫌な仕事のとき、不快になることもありますが、そのときにもしっかりと出て、そして自己主張をなさればいいんです。きのうだって、テレビがあったんですから、おっしゃりたいことがあったら堂々とおっしゃれば私はよかったと思います。それが民主主義ではないかと思います。
 私は、ぜひ野党の方には民主主義は何かということをまず勉強していただきたいと思いながら、また本筋に戻ります。
 これについて、総理、事後処理がちょっと遅かったかなと思われましたか。

○麻生内閣総理大臣
 私は、今回のあれにつきましては、中川大臣から、本人の体調と。私はこれが一番だと思っておりますので、能力より体調の問題だったと基本的に思っております。したがいまして、それぞれの時点で私が判断したものであります。
 十六日の夜、予算及び関連法案の成立に全力を尽くすということでありました。十七日の昼、病院の診断の結果、風邪や疲労性など体調思わしくなく、予算及び関連法案が衆議院を通過するまでは全力を尽くすということでありました。しかし、その日の夜、まあここで見られても、脂汗がずっと流れておられましたし、そういった意味で、本人の体調と国会審議への影響を考えて辞任をするということであったので、本人の意思を尊重したということであります。
 それぞれの場において、御本人の意思の問題でもありますので、私どもとしては最後まで職責を果たしていただきたかったと正直思っておりますけれども、本人の健康の問題というのは、これはやはり御本人自体でないと、我々、何となく周りからいろいろ申し上げても、これは本人ということになろうと思いますので、本人の健康の問題であり、やむを得ないというように判断したというのが経緯であります。

○池坊委員
 麻生総理は、いつも夢や希望を大切にという、これは麻生総理の美学でいらっしゃるのではないかといろいろな本を読みながら私は思っております。
 悲観主義からは何も生まれてまいりません。ですから、常に建設的に夢や希望を持ちながら目標に向かっていくことが私は必要だと思いますが、私は、今のこの経済対策を乗り切りますキーワードは、安心、信頼なのではないかと思います。オバマ大統領があれだけ人気があるのは、国民がオバマさんについていこうと思うその安心感、ついていったら大丈夫というその安心感と、彼を信頼しているからだと思うのです。
 今、六十五歳以上の世帯の貯蓄残高は五百五十八兆もあるんですね。もしそれを、家計、実際に老後に必要な経費なんかを差し引いても百七十九兆が残ると言われております。また、たんす預金は三十兆、個人の金融資産は千四百六十七兆。つまり、皆様方が未来に希望を持って、安心して信頼したら、こういうお金も使っていただけると景気も浮揚するのではないかと思います。
 これから麻生総理には、ぜひ強い信念を持って、国民を引っ張っていかれるリーダーとして、どのような形で国民の信頼、安心を構築していかれるかを伺いたいと存じます。

○麻生内閣総理大臣
 基本的に、今言われましたように、個人金融資産約千五百兆と言われております。その千五百兆の中で、どういった形でこれを、貯金とか預金とかいう種類の金融資産が何らかの形で一部投資に向かうということになるのが景気を活性化させる、また、消費に向かうというのも同様に景気を活性化させるものだと思っております。
 そのために、いわゆる景気刺激策として、住宅の借りかえとか建てかえとかいったものに関しての減税をやらせていただきますとか、いろいろなことを申し上げてきておりますが、安心というものがないとなかなか金を使いにくいのではないか。
 そういった意味では、このままいっても将来年金はなくなるのでないかなどという話が、いろいろ風聞としてよく出されたところであります。したがって、そういったようなものを我々としてはきちんと対応をしておかないと、なかなか安心して老後が過ごせないから、きちんと今自分で何とかしておかなければならない。
 そういった意味では、貯蓄率が極めて高い中国がよく例に引かれますけれども、中国は、そういった年金、医療などなどいろいろなものがきちんとできていないがゆえに貯蓄率が高い、そういった説もあります。これは、高ければ必ずいいというものでもありませんし、低いところがすべて健康保険ができていないというわけでもありません。
 これは一つの例です。
 そういった例を見てもわかりますように、日本としては、きちんとした対応をしておく必要があるということを、安心という意味でいくと、そういった点をきちんと対応していくというのは今後大きな問題になってくると思っております。

○池坊委員
 麻生総理と接した方は皆様、総理を大変友情に厚くてすばらしい人柄の方だというふうにおっしゃいます。多分、私は、人を大切になさる方でいらっしゃるんだと思います。でも、同時に、私がかつて読みました中で、リーダーの必須の条件の中に、孤独に耐えられる人でなければならないと書いてございました。
 どうか、リーダーは、総理はある意味で本当に孤独な日々でいらっしゃると思いますが、余り周りのことに煩わされずに、友情もほどほどになさって、孤独にも耐えていただけたら、私はもっともっとすばらしさが引き出るのではないかと思います。
 それで、最後に、与謝野大臣に伺いたいと思います。
 安定感のある与謝野大臣が三つの役を兼任されますことを、私は、頼もしく、そしてうれしく思っております。確かに、経済、財務、金融、この三点をお一人で担われるのは重責であり過ぎるかと思いますけれども、でも、前の大蔵大臣はそれを全部していらしたんですよね。だから、この三つというのは連動しておりますから、私は、一人の方がこれを担われる方がかえって効率的なのではないかというふうに思っております。
 会見でも、政治家はプラグマティズム、現実主義の塊みたいなところがある、状況に応じて適切な政策選択を行うことが我々に与えられた使命だと語っていらっしゃいます。
 いかがですか、この金融危機に対し、財務金融大臣としてどんな対応を考えていらっしゃるでしょうか。

○与謝野国務大臣
 我々は、平成二十年度の一次補正、二次補正、そして今、国会に平成二十一年度の当初予算をお願いしております。これは、事業規模七十五兆の経済対策でございますが、今週の月曜日、十六日に発表された年率換算のGDPの落ち込みというのは、なかなか大きな数字でございます。これから、経済界も言論界も学界も、また国会の中でも、一体これからどういう物の考え方で政策を進めていくべきか、こういう議論はたくさん出てくると私は思っております。一―三月についても、民間の方々は決して楽な予想をされておりません。したがいまして、私としては、麻生内閣の三つの閣僚を兼ねますけれども、兼ねたからといって、私の立場は麻生内閣の一閣僚でございますから、そういう立場で、日本の経済をしっかりとしたものにするために全力を挙げてまいりたいと思って
おります。

○池坊委員
 国民の八割の方が補正予算並びに本予算の一日も早い成立を待ち望んでおります。国民の視点に立って、関連法案、再議決も含め、どなたが欠席なさろうとも、私たちは国民とともに粛々とやってまいりたいと思っております。全力でお支えいたしますから、頑張っていただきたいと思います。
 ありがとうございました。

○衛藤委員長
 これにて池坊保子君の質疑は終了いたしました。

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February 12, 2009

予算委員会で質問しました

 ブログを久しぶりに書きます。「ブログは日記、毎日だよ」、ごもっとも、分かっています。
 日記を書くことにより救われた若い日があります。
 東京から京都に移り住み、余りに想像を遥かに超えた環境に打ちひしがれ、八方塞がりの中、出口の無い日々に、唯一、最大、ものを書くことにより生きる術を見出し、京都にとどまった若い日、その時の私にとってものを書くことがストレス解消であると共に、自己主張の場でもあったのです。
 今は仕事に打ち込める自分がいます。自己主張は、自己実現はものを書くことではなく、政治の仕事で行っています。それがものを書く時間や精神を私から奪っているように思います。

 2月5日、予算委員会で質問しました。読んでいただけたら幸せです。


平成21年2月5日 衆議院予算委員会
※下記、会議録は未定稿ですのでご了承下さい。

○衛藤委員長
次に、池坊保子君。

○池坊委員
公明党の池坊保子でございます。
麻生総理は学校の先輩でいらっしゃいますので、自公連立の一翼を担っている以上に、いつも心からなる声援を送っております。娘も、わくわくどきどきと応援しているそうでございます。どうぞ、総理には、これからも毅然と堂々と政策をお示しいただきたいと思います。経済政策七十五兆円が国民一人一人にきめ細やかに浸透していくとともに、麻生総理の政策も浸透していくと信じております。
私、初めて予算委員会の委員になりまして、政治家の品格というのは何だろうかと思いました。多くの国民は、まじめに、誠実に、努力を積み重ねながら日々生きております。政治家はその範でなければならないと思います。本来、政治というのは、今を生きている、そして未来に生きている一人一人の国民がいかに幸せに生きられるか、その命と暮らしを守るために政策を粛々と積み上げていくのが政治家のあるべき姿ではないかと思います。
昨今、マスコミにも踊らされて、劇場型政治になっておりますことを私は深く憂えております。今、原点に立ち返って、私たちは政治家の矜持と自覚と品格を持つべきではないか。ノーブレスオブリージュ、その言葉こそ、私、自分も込めて、いま一度考える必要があるんじゃないか。予算委員会でも、私もやじを飛ばしますけれども、果てしなくやじが飛んでいる。本当に子供には見せられないという思いを今持っております。
質問に入らせていただきます。
私は、総理に、夢と希望の経済対策、指針をお示しいただきたいというふうに思っております。先日の施政方針演説において、麻生総理は、危機が混乱をもたらすのか、それとも新しい時代を開くのか、それは私たちの対応にかかっています、一九二九年の大恐慌の教訓を忘れてはなりません、世界各国は、自国の利益を優先し、保護主義に走りました、それは、世界経済を収縮させ、第二次世界大戦にもつながりましたと述べていられます。私も全く同感です。この経済の非常事態を日本社会の非常事態にしてはならないと思います。
一九三三年、ルーズベルト大統領は、我々が恐れなくてはならない唯一のものは恐れるということそのものだという有名な一節を残しております。今本当に、夢や希望がなくなっていく、閉塞感に包まれている、それが私は大きな問題なのではないかと思います。
このニューディール政策にいたしましても、テネシー渓谷の開発だけが有名ですが、そうではない、学校をつくった、人材を確保して、農業を整備して、社会整備をした、そういうプロセスもございます。ただ、これだけでは経済を立て直すことができなくて、フェデラル・ワン、文化芸術振興もやっております。
ただ、ニューディール政策で必ずしも経済を復興することができなかったという検証もございます。私は、それは、公共工事だけでは、政府の支援だけでは、必ずしも経済の復興はあり得ないということの証明ではないかと思っております。
参議院の本会議でも、麻生総理は、公助とともに共助が大切だというお話をなさいました。私は、国民一人一人の活力、いかに創意工夫を引き出していくか、それなくして経済の活性化はあり得ないというふうに考えております。
私が住んでおります京都のお話をちょっと参考までにさせていただきたいんですけれども、一九二九年に、今、京都国際マンガミュージアムになっております龍池小学校をつくりました。一九三一年には、京都芸術センターになっております明倫小学校をつくったんですね。この明倫小学校というのは、当時のお金で五十八万円かかって、このうちの四十二万円は寄附なんです。今のお金でいいますと二十億とか三十億かかっております。デザインもすばらしいし、日本一豪華だったというふうに言われております。
それからまた、人々が日本に来るようにと、その当時に、観光課をつくった。また、都市風致地区というのも、東山とか北山とかに定めたりしているんです。
つまり、片方では労働争議が大変だった中にあっても、そういうことをしている。今度、京都市は、京都府と商工会議所と一緒になりまして、博覧会をしようと。京都の伝統文化、食のもてなし、あるいは、いろいろな産業を展示しようと。
つまり、私が申し上げたいのは、一人一人の活力をどのようにこれから政府が引き出し、それを生かしていくのか、そういうことこそが経済の発展に大きく広がると思っておりますので、総理のお考えと、何か対策を伺いたいと存じます。

○麻生内閣総理大臣
今おっしゃるように、TVA、テネシーバレーの話も出ましたけれども、あのときは壮大な無駄と言われたものが多分ネバダのダムだったとよく言われます。しかし、そのネバダのダムのおかげで、今日、ネバダ州というのは人口が唯一ふえ続けていると言われているものの一つになりました。したがって、超長期的に見ると、その当時無駄なものが結果として生きたという最たる例として、今よく言われるものの一つになりました。
いずれにしても、こういったようなものというのは、物すごく大きな変化が起きておりますので、それに対して、やはり、目先どうするかという話と、それを終わった後どうなるかという話と、いろいろなことを組み合わせて考えねばならぬと思っております。
そういった中にあって、自助、公助、共助、いろいろございますけれども、共助の部分というのでいきますと、やはり日本というのは、京都を例に引かなくても、いろいろなところで、長い歴史、伝統というのがございますので、そういったものが、今、世界の中では別の意味で評価がされている部分になりつつあるのではないかと思っております。
クール・ジャパンという言葉、イッツ・クールなんという言葉がやたらはやるようになった。これは、日本人が意識していないところで、外国の人がクール・ジャパンとしてテレビの番組でずっとそれだけやって、多くの日本語のうまい外国人がそれに参加して、いろいろな例を引く。へえ、あれがクールなのか、あれが格好いいのかという意識を我々に与えますけれども。
そういったものを含めて、可能性というのは、政府とか役人とか政治家がとかいう話ではなくて、むしろ普通にあるものの中にそういうのがいっぱい含まれている、可能性がそこに眠っているというところで、コンテンツとかいろいろなものがよく例に言われますけれども、そのあるコンテンツをきちんとして産業にするというのは確かに仕事なんだと思いますが、そのコンテンツ一つ一つは個人のものなんだと思いますので、ここをまとめて底力という表現を私はさせていただいております。
いずれにしても、平均寿命も物すごく世界の中で長いわけですし、いろいろな意味で、その寿命が長くなった分だけ、今度はそこに介護の部分とかいろいろなものがもっと新たに出てくる。そこが新しいサービスの産業になり得るとか、いろいろなものが出てくると思いますが、加えて、先ほど鴨下議員からの御質問にもありましたように、やはり今、技術的にこういったようなものがきちんとできる可能性が最も高いのは、これはどう考えても日本とアメリカの持っている、低炭素社会に対して、もしくは環境技術に関しての可能性というのはこれは断然高いと思っておりますので、こういったものをきちんと総合的にやっていくと新たな社会が見えてくるのではないか。
私は、そういったところは、新しい部分、昔からの部分、いろいろなものを複合的に生み出していくというところが一番大事なところなのではないかと思っております。

○池坊委員
総理、ありがとうございます。
次に、私が尊敬してやまない与謝野経済財政大臣に質問させていただきたいと思います。
大臣がお書きになった「堂々たる政治」、読んですごく感激いたしまして、すぐお手紙をいたしましたが、多分お読みいただいていないのではないかと思っておりますけれども。
先ほど申し上げたように、政治家というのは、奇をてらわず、誤りない判断のもとに、世事にこびることなく、毅然と誠実に政策を主張していくべきというふうに考えておりますので、大変すばらしい先輩政治家を持てたことを幸せに思いました。
いつも、天知る、地知る、人知る、人は時々知ってくれないこともありますけれども、でも、正しいことはいずれは知ってくれるのではないかと私は思っております。
与謝野大臣は御本の中で、
一人ひとりの国民が前を向いて働けるような状況を作り出していかねばならない。
日本には、社会の信頼や環境・省エネ、先進ハイテクなどたくさんの強みがある。しかも、自らが気づかないうちに、その強みが経済全体の成長力にとってますます重要になってきている。理由は、世界経済の状況変化だ。
世界人口が一〇〇億近くにまで増加していく今後のポスト工業化時代に稀少財となるのは、環境であり、資源であり、技術である。「環境生産性、資源生産性、技術生産性」を高めて成長していく時代へ。まさに、日本の強みが最大限活用できる時代となるのだ。その意味では、これまで以上の勤勉さ、創造力が求められる
というふうに述べていられます。日本人の真っ当さ、行儀よさ、きちんとしていることも大きな特性ではないかというふうに述べていらっしゃいます。
私は、今こそ、この日本のすぐれた物づくり、技術力を伸ばすことがこれからさらに必要となっていくのではないか、この不況下にあってこれから日本がどう生きていくかというときに、やはり私は技術力なのではないかと思いますけれども、その点において、述べていらっしゃるような理念をどのように具体化していらっしゃるかを伺いたいと存じます。

○与謝野国務大臣
この十年間ぐらいを振り返ってみますと、日本の生き方というものは随分いろいろな方に議論をされた。また、日本の社会のあり方も議論をされまして、その中の典型的なものの一つは、金融で生きていこうという議論もありましたし、社会のあり方としては市場原理主義という考え方も出てきておりました。その間、我々は、日本が最も大事にしていたセーフティーネット、例えば終身雇用とか年功序列とか、非近代的と非難されながら守ってきたこういう自然のセーフティーネットというものを実は失ったと思っております。
こういう不況が来てみますと、嘆き悲しみということよりは、やはり日本が持っている特性は何か、これをやはりちゃんと自分たちでわかって、自分たちの特性を生かして世界の中で生きていくということを考えていかなきゃいけないと思っております。
もとより、日本は小さな国でございますし、資源的には全く恵まれていない、それ自体の制約はあります。世界的に見ますれば、鴨下議員の御質問があったように、やはり地球の環境の問題というのは我々人類がみんなで心配しなきゃいけない。
それも我々の経済にとっては制約があるだろう。資源や環境の問題は、日本の経済にとっては制約要因であるけれども、実はよく考えると、資源やエネルギーに関してはすぐれた技術やノウハウを我々は持っている。それを生かしていこう、そういうことでやっていかなければならないと思っております。
今は、経済危機、金融危機が来ていますから、世界じゅうの国々が経済対策を打っています。複雑そうに見えましても、この経済、どこの国の経済政策も二種類にしか分類できない。一つはクレジットフロー、いわゆる資金の流れをよくするという政策と、もう一つはディマンド、需要を喚起する、この二つの政策がいろいろな名前で政策として出てくるわけですけれども、大別するとこの二つになってしまうということです。
我々の政策も、分類すればそういうことになるということになりますけれども、お金を使うんだったら、やはり現在の経済危機にも役に立つ、また、将来の花開く分野も見つけて、そういうところにもお金を使っていくという、ケインズは、今は、有効需要は穴を掘って埋めれば有効需要だと言ったと言われていますけれども、ケインズは、実際に言った言葉は、お金は利口に使え、こう言っているわけですから、我々は利口に使う。または、日本が持っている技術というものを、あるいは日本が持っている特色を生かしてやっていくということが大事なことだと思っております。

○池坊委員
丁寧に御答弁いただき、ありがとうございました。
夢と希望の星である、宝である子供の環境について、斉藤環境大臣に伺いたいと思います。
今、子供が危ないのです。ここ二、三十年間で、先天的な異常を持って生まれてくる子供、ぜんそくなどのアレルギー症状を訴える子供、肥満や糖尿など成人病になる子供の数が二、三倍に増加しております。また、すぐキレる、授業中座っていられない、他人とコミュニケーションがとれないなど、精神、神経の面で問題を持つ子供も増加しております。
文部科学省の学校保健統計調査によりますと、これは千葉大学の森千里先生の「へその緒が語る体内汚染」によると、大変おもしろい本でございますが、ここ二十年の間に、ぜんそくにかかっている率は四倍、そして子供の肥満児は一・五倍に、言語障害は四倍に増加しております。また、国際先天異常監視研究機構のデータによると、男の子の尿道下裂はこの三十年で二倍に増加しております。
これは世界共通の傾向であり、経済、社会、科学が最も発達した現代社会の子供たちが最も不健康な状態だというのも、極めて私は大きな問題ではないかと思います。
すべてこれは環境に問題があるんです。未来を担う子供たちの健康を守るということは、先を歩んでいる私たちの第一になすべきことではないかと思っておりますけれども、斉藤環境大臣はこうした現状を把握していらっしゃいますでしょうか。また、今の私のデータに対してどのような認識をお持ちであり、そして、それは何が原因であると考えていらっしゃるかをお聞かせいただきたいと思います。

○斉藤国務大臣
大変重要な問題を御指摘だと思います。
環境省においても、近年、子供の異常が急激にふえているということを各種統計データから把握しております。これは我が国の将来を担う子供たちの問題で、大変我が国の将来にとっても深刻な問題ですし、また、子育て中のお母様方、お父様方にとっても、大変憂慮すべき問題だと思っております。
子供の健康には、住環境、両親からの遺伝、生活習慣などのさまざまな要因が複合的に影響しておりますけれども、中でも、環境中の微量な化学物質が人間の体内に蓄積されて、発育、発達中の子供の体にさまざまな悪影響を与えている可能性が動物実験等から報告をされております。化学物質を初めとする環境要因の解明は大変重要であると考えております。

○池坊委員
少子化対策の第一歩は、まず、子供を産みたいなと思う環境をつくる。安心して産める。そしてその後に、妊産婦、これから十五回になりました、それとか、あるいは出産一時金の四十二万円等々があるんだと思います。
問題が生じると対症療法的に今まで対策をそれぞれ講じてまいりました。そして、その結果が今のような状況になってきていることに思いをはせるときに、私は子供の弱さに着眼した環境政策の枠組みというのが必要なのではないかと思っております。
アメリカや北欧では、国の事業として、子供の健康と環境に関する全国的な調査を既に開始しているんです。我が国も、もはや手をこまねいている場合ではないと思います。関係省庁が連携協力して、環境と子供の健康の因果関係を明らかにするための疫学調査とか研究を早急にすべきというふうに思っておりますが、いかがでいらっしゃいますか。

○斉藤国務大臣
環境ホルモンの影響もこれまで指摘されておりましたけれども、その影響が特に子供に顕著にあらわれているということが近年明らかになったわけでございます。子供は小さな大人ではないということを踏まえて、日本のこれからの環境政策を推し進めていく必要がございます。
そのために必要となる科学的基盤を固めるため、環境省では、子供の健康と環境に関して数万人規模の大規模な疫学調査を実施する計画でございまして、今年度と来年度、その予備調査を行っているところでございます。また、この予備調査を基礎にして、できるだけ早く大規模な調査を行いたいと思っております。
また、四月にイタリアで開催されるG8環境大臣会合においても、この問題の重要性を国際的に取り組んでいこうということで訴えてきたいと考えております。
近年、少子化が進む中で、子供の脆弱性に着目した環境政策を推進することは、安心、安全な子育て環境の実現のためにもますます重要な問題になってくると思われますので、この子供の健康と環境の問題、きょう池坊委員から御指摘を受けましたので、しっかり取り組んでいきたいと思っております。

○池坊委員
関係省庁によって連携をとりながらこの研究調査を進め、そして対策を講じてくださるということでございますので、もちろん文部科学省も中心になっていくと思いますし、少子化対策大臣の小渕大臣や、野田大臣にもどうぞお力添えをいただけたらというふうに思っております。
塩谷大臣に、心の教育ということで、やはり子供のことでちょっと伺いたいと思います。
二月三日に「「心を育む」ための五つの提案日本の良さを見直そう!」というのをお出しになりました。私、それを拝見して、いいなと思いながら、当たり前のことなんですね。例えば読み書きそろばん。私は、人間形成の初期は読み書きそろばん、本を読まなかったら思考も浅くなるし、本を読みなさい読みなさい運動を私はいたしておりますけれども、あと、家庭で生活の基本ルールをつくる、先人の生き方や本物の文化、芸術を学ぶとか、校訓を見詰め直す、地域の力で教育を支える、もうすべていいことですけれども、これは、実際に具体的にやるとなると、なかなか当たり前過ぎてむしろ難しいのではないかというふうに思います。
今社会に起きておりますさまざまな問題は、自分が信じられない、あるいは未来に夢が持てない、そういうことからいろいろな問題が生じているのだと思います。いじめも起こり、そしていじめによって自殺する子供も出てくる。
私はフランクルの「夜と霧」という小説が大好きでございまして、その中の一説に、アウシュビッツの収容所から生き延びた人間は、自分を信じ、そして夢と希望を持ってその過酷な収容所の中を生き抜いた人間が生き延びることができたんだと。私、いろいろなことがありますたびにこの言葉を思い起こすんですね。自分を信じないから、夢や希望がないから、子供たちはやはりいろいろな問題を起こしていくんだと思います。
塩谷大臣、せっかくいい提言をなさいましたので、それについて具体的にどういう政策、どういうことを実施していらっしゃるのか、ちょっと簡単にお願いいたします。

○塩谷国務大臣
お答え申し上げます。
「「心を育む」ための五つの提案」につきましては、教育基本法を改正して、教育三法等の改正、あるいは小中学校の学習指導要領も改訂しまして、ことしからその実行の年ということで、特に新しい日本の教育がことしから始まるんだという意味
も含めて、改めて、生きる力、生きる基本をしっかりと御理解いただいて、国民全体で子供たちの教育に協力していただこうという思いで発表したわけでございます。
特に、生きる力のもと、生きる基本ということについては、基礎学力、体力、さらには道徳、そして職業観というような、やはりもう一度原点に返ってしっかりと学んでいただこうという思いでございまして、そういった思いを五つの提案という形で国民に私なりに呼びかけていこうと思っております。
今委員おっしゃったように、当たり前なことでありまして、実行にはなかなか難しい。これから具体的にどういう手法でこういった考え方を広めていくかというのは、さまざまな分野あるいは場で私も発言していきたいと思っておりますし、広報もしたいと思っております。またいい御提案があったら、ぜひ御指導いただきたいと思っております。
子供たちが、今いろいろな厳しい環境の中で、またいろいろな事件が起こる中で、明るく、強く、たくましく、そして日本のよさをもう一度見直して、健全に育っていくことを願ってやっていきたいと思いますので、またよろしく御指導をお願い
申し上げます。

○池坊委員
最後になりますが、通達いたしておりませんけれども、鳩山総務大臣に、これはちょっとお願いも込めて申し上げたいのですけれども、かんぽの宿ですが、白紙に戻すというふうにおっしゃいました。
昨日、うちの同僚議員、赤羽議員が総務大臣に要望書を持っていったと思います。有馬温泉は御存じでいらっしゃいますか。その有馬温泉の温泉協会は、もしこれを売却するなら、地域の事情を聞いて、そしてから売却をしてほしいという意向でございました。
私は、かんぽの宿、質問しようかと思って一生懸命調べまして感じましたことは、残念に思いましたのは、日本郵政の社長がもし中小企業の御自分の会社の社長でいらしたならば、もっときめ細やかに一つ一つの売却に心を配られたんじゃないか。そんな、一括してなんということではなくて、もしそれが一つ一つの地域で売れなかったならば、創意と工夫をして、次にまたいろいろな段階を踏んで、売れるようにと心配りをなさったんじゃないか。
私は、これもノーブレスオブリージュではないか、責任がリーダーにはあるんだなということを強く思いましたけれども、地域地域の方々は、私たちがいつも見なれている建物なんだから、それを大切にしたいと思っていらっしゃる方もたくさんいらっしゃるんですね。そういう声にぜひこたえていただきたいというふうに思いますけれども、いかがでございますか。

○鳩山国務大臣
昨日、赤羽先生が一緒に来られて、有馬温泉の旅館とかホテルとか経営しておら
れる方々あるいは観光協会の方々からのお話を陳情という形で受けまして、かんぽの宿については、ぜひ地元の観光発展という形で使えるように、我々がいろいろ相談をして引き受けていきたい意向だということをおっしゃられまして、私は、一括
で、バルクセールなんというばかなことをするのではなくて、それぞれ地域に根差したかんぽの宿が生まれ変わっていく形がいいだろうということとぴったり一致いたしておりまして、非常にうれしい思いがいたしましたし、そのような形でこれから進めていきたいと思います。
なお、有馬温泉のかんぽの宿はもちろん大変立派な建物で、これはたしか黒字ではないかなと思っております。

池坊委員
大臣はきのう、政治家としての正義感と良心とおっしゃいました。私は、リーダーというのは正義感と良心と責任を持つべきであって、そういうのを持てないリーダーはリーダーをやめるべきだというふうに思っております。閣僚の方々にも、この国難、どうぞリーダーシップを発揮して、すばらしい政治をしていただけるようエールを送り、私の質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。

○衛藤委員長
これにて池坊保子君の質疑は終了いたしました。

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