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February 04, 2008

歴代総理のもとで

 19年度補正予算が審議され、それが終了するとすぐに20年度本予算の審議と、慌ただしい日々を送っています。
 文部科学省も社会総がかりの教育体制のもと、民間の活力を頂きながら健全な子どもを育成する政策の数々を打ち出していますから、一日も早い成立が望まれます。

 考えてみれば政治家になって12年、森総理、小泉総理のもとで文部科学大臣政務官、安倍総理、福田総理のもとで副大臣と、いずれの時も政府の中で働くことが出来るのは幸せです。

 私は福田総理をいつも安心感を持ってお頼りしています。
 確かに小泉さんのような華やかさ、心に響く発言、インパクトはありませんが、もともと私は教育、政治は日々の誠実な積み重なりと確信していますので、テレビ向きのパフォーマンス、アドバルーンを掲げることなど必要ないと思っています。
 福田総理は落ち着いていて、バランス感覚があり、常識人であり、何事があっても動じない強さを感じます。それが物足りなく支持率が上がらないのでしょうか。
 勿論、年明けの株安に伴う経済不況、ワーキングプア、原油の高騰、命に関わる食品製品の販売など、私たちの暮らし、生活に対する危機感が、政権与党に対する信頼性を喪失し、総理への風当たりも当然悪くなってしまうのでしょう。

 小泉総理は稀有な方です。
 自分が信じたことはまっすぐに突き進んでいかれるあの情熱。誰でも情熱はあります。勿論私にも。
 でももし私なら、郵政民営化でも道路公団民営化の問題でもそれをする事の功罪を考えてしまいます。メリットとデメリットを考えたとき、躊躇してしまうかもしれません。役人がそうなんですね。だから大胆に前に進めない。何でもメリットのない事柄なんてないのですからね。
 郵政民営化、道路公団の民営化に対しては、私は積み残しがたくさんあるように思いますが、まず走り出すこと、走り出しながら考え、走る道を作っていくことが必要なのですね。
 走る道をあれこれ考え込んだら、人はスタートは切れません。私が何かを提案した時に、役人はいかにそれを遂行することが難しいかを、相手の自尊心を傷つけずに、説明する特異な才能を持っています。その言葉を聞くたびにいつも私は、立ち塞がっている困難を取り除いたら不可能が可能になるじゃないの、と反論します。人は常識に縛られては進歩なんてないのです。自分に言い聞かせていることです。
 私は結構、外見よりは常識的で、自分の斬新な考えや行為を抑止することがあります。常識に縛られず、もっとのびのびと考えを実行に移していたらもっと偉くなっていたでしょうね。同い年でも小泉さんと私の違いは、根本的に発想の違いはもとより、むしろ表現、行動力の違いなのだと思います。

 鮮烈に心に残っていることがあります。
 総理時代、小泉さんは愛知万博に行かれ、そこで持参のお弁当持ち込み禁止に、それはおかしいと撤回されました。多くの訪れる人が喜びました。私もよかったと思いました。
 でもすぐに私は、私が総理ならそう思ってもきっと口にするのをためらったと思ったのです。何故ためらうのか。総理がそんなことまで口を挟んではおかしいんじゃないか、総理はもっと大きな問題にこそ関心を注ぐべきではないか、とささやく声に自分の意見を押し留めたかもしれません。
 一人一人を大切にするということは、細やかなことにも心配りをするということですから、ためらう方がおかしいのです。にも関わらず口に出すのをためらってしまう自分。何かを実行に移したいと願いながら自らの情熱をふと押しとどめてしまう、もう一つの醒めた自分を見つめている目。いつもそんな二つの目の葛藤が自分を抑制したり、押し出したりしています。

 60歳になった時、もう何者にも縛られず素直に、率直に生き、行動していこうと決心してから数年。昔の人は「四十歳にして惑わず」と言ったそうですが、私は60歳になっても「惑」でいます。そんな意味からも私は周囲の思惑など歯牙にもかけず無我夢中で突き進んでいく小泉さんに惹かれ、何事にも冷静な福田さんに安心感を持っています。

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