徒然なるままに
連休の海外出張を町村官房長官より止めるように言われ落ち込んでいた私ですが、いつも信条にしている「人生はあざなえる縄のごとし」で良い休日を過ごしました。
まず一点は、いつも慌ただしくお参りする両親のお墓に、水とお線香とお花を持って、体力のために歩いていきました。我が家から両親の眠る大徳寺まで小一時間、ちょうど一人散策するには良い道です。
様々なことを思いながら帰り道は商店街を通り、お肉屋さんで高一の坊やに食べさせてあげたいとお肉を買ったり、お茶屋さんで、お抹茶が切れていたからと求めて、家に帰っておいしいお抹茶を一人いれました。
私は小学校から私立に通っていたので、片道渋谷駅から歩いて20分。その間、夢見る少女だった私はあれこれといつも夢の世界をさまよい、楽しい往復路だったことを思い起こしました。今でも夢見ることが抜けないのは、幼いときの毎日の通学路の習慣が残っているのかもしれません。
久しぶりに家族とも食事をすることができ、積もり積もった話に花を咲かせました。
そしてなんと言っても心に残るのは、9日に行われた公明党の代表者協議会です。
「一致団結して慈悲の政治を」と、太田代表からの挨拶がありました。慈悲の政治とは思いやりの政治だと思います。一人一人の痛みや苦しみを分かち合い、少しでも自他の心を持って、他人の幸せのための政策づくりをするということだと思います。
私もまたそのような政治を願っておりますので、大変嬉しくなり、公明党に入って良かったと思いました。ほかの政党で思いやりのある政治を心しているところがあるでしょうか。政治家不信といわれるように、どれだけの国民が政治家を信頼し、尊敬しているでしょうか。
予算の中継が何回もあるので、NHKが躊躇していると聞いたとき、ある野党の議員が「なら予算を通さなければいい」と言いました。
野党だけでなく、とかく政治家はそんな発想をする人もいるようです。でもこれは恫喝でなくてなんでしょうか。
まして志高く、日本の将来を考え、一人一人の幸せを願うはずの若者が、先生と言われて錯覚しているとしたら、とんでもないことだと、私はそれを聞いたとき心が暗くなりました。
私は若い政治家がどんどん出てくることには賛成です。でも若い人はとかくすぐに傲慢になると悲しくなりました。謙虚に、純粋に、しがらみにとらわれず進んでいくからこそ若さが大切にされるのです。
有権者が政治家を選ぶとき、どんな人を選ぶか、これからの日本の未来がかけられていると思います。
かくいう私も、有権者に応えられるようでなければならない、若い人の姿からそんなことを思った一瞬でした。
