お誕生日
4月18日は私のお誕生日でした。
あえて何回目とは言いません。そう、もう言いたくない年齢になりました。
私の5歳違いの姉が50歳になった時、私は姉に「お姉ちゃまが50歳なんて気味悪いわ」と言いましたら、姉が「そうよね、自分でも気味悪いわ、そんな年になるなんて」と言われたことを思い起こします。
でも自分が50歳になった時、私はごく自然にその時を受けとめ、そしてまた年を重ねていきました。この数年、お誕生日のたびにいつも同じ思いを心に繰り返し確認しています。
年を重ねることに、もはや幾ばくかの淋しさを伴い、決して心から喜ばしい年ではなくなりました。でもこの日がなければ、私は愛する家族と巡り逢うこともなく、四季おりふしに移り変わる美しい日本の自然に触れることもないのです。
愛する二人の娘から自分では決して買うことのない、年甲斐もない可愛らしいパジャマをプレゼントされたり、「わが命、わが宝」と思っている高校二年の孫からは「誕生日おめでとう。また小遣い下さい(笑)」とメールが来て幸せになったり、友人や秘書さんから心温まるプレゼントが届き、いつまでも夢見る夢子である私は、心から幸せを感じました。
年を取るって嬉しくないけれど、お誕生日はやはり年に一回の幸せな時です。人はいくつになっても人から注目されたいのかもしれませんね。私は90歳になってもみんなに祝ってほしいです。そしてそんな可愛らしさを秘めたおばちゃまになりたいです。
私の心の中に残っている鮮烈なシーンがあります。
私は30代、まだ若く一点の曇りない明るい前途を確信していた頃でした。
その当時の住友銀行の頭取でいらっしゃる堀田庄三さんとお食事をしました。大組織である住友銀行に君臨し、「天皇」とまで言われた存在でしたが、私には限りなく優しく頼りになる存在でした。
初めてお目にかかった時、私のことを事前に調べていらしたのには驚きました。多忙を極めていた方が、若い私のことを事前に知っておこうとなさる態度に「やはり偉い方は細やかな配慮と労力を惜しまないのだ」と感心しました。
そしてもう一点は「もし神様が、何か一つだけしてあげるといわれたら」と私は馬鹿げた質問をした時のことです。今も変わりませんが、私は時々そんな子どもじみたことを平気で口にしてしまいます。
その時、堀田さんは静かに、しかし強く「若くなりたいです。年齢を若く戻したいです」とおっしゃいました。
権力の座にいらっしゃる方が年齢を取り戻したいとは、今、立派な頼もしい時を生きていらっしゃる方の言葉に、私は驚くと共にその真情をしっかりと受けとめることが出来ませんでした。その言葉の重みを受け止めるには、私は余りにも若かったのだと思います。
でも今の私にはその気持ちが良くわかります。全てのものを得ることが出来ても、得ることが出来ないものが人生にはあります。
高二の長女の息子に言っていることは、「人生に再チャレンジできないものはない。でも取り戻せないものは自分の命、他人の命、そして時」です。
若い時はどこかで自分は年は取らない、永遠だと思っているのかもしれません。人間が持っている業かもしれません。
長寿医療制度、新聞報道では「評価しない」というが71%でした。
私も土日は地元で、きめ細やかに説明していますが、年金から差し引かれることに大きな抵抗があるようで、なかなか理解を広めることの難しさを痛感しています。
この制度をつくった役人たちも、必ずしもお年寄りをいじめようと思ったわけではないと思います。21世紀の未来を考える時、現在1人の高齢者を現役世代4人で支えていますが、20年後には高齢者1人を2人で支えることになるのです。国民が全て保険に入っている制度は、アメリカなどに比べて大変良い制度だと思います。ただこのままいけば、高齢者医療制度は崩壊し、高齢者にも過度な負担を強いなければならなくなります。それらのことを考え、国・地方が5割、現役が4割、個人が1割を負担するという制度をつくったのです。
でも私はもっときめ細やかなやり方への配慮が必要だったと思います。説明不足は否めません。
「後期高齢者医療制度」というネーミング、公明党はそれをすぐに「長寿医療制度」と変えました。ネーミングを変えても何もならないと言われる方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。言葉は内容を表すのです。人間の心を表すのです。後期高齢者医療制度というネーミングよりも長寿医療制度にしたら、という発想が最初から役人にあったならば、もうちょっと細やかな配慮があったかもしれません。
政治に携わる人間として、私も反省しています。制度をつくった30代、40代の頭の良い役人は、自分は年を取らないと考えたのかもしれません。或いは日本の将来を憂うあまりに、現状の把握をちょっと怠ったのかもしれません。
評価しない人が71%いるとしたら、これからの医療制度を維持していくために、今後どのような制度に変えれば良いのか、共に考えていかなければ、いずれの時かは、国民全ての人が入れる保険制度は崩壊してしますと考える昨日今日です。
