10月10日、旭日大綬章感謝の夕べをしました。
久しぶりにブログを書きます。ずっとご無沙汰だったので、もう見捨てられたかもしれませんが、細々ながら続けていこうという意思はもっております。
6月9日に、天皇陛下より直々に旭日大綬章を賜り、その感謝の小宴を10月10日にいたしました。もう政治家ではないので晴れがましい席はいいと、躊躇する思いもありましたが、娘が、一生の一度のことだからと背中を押してくれ開催しました。
卓上には250本の薔薇を生けた大作が生けられ、私にとっては限りなく幸せなひと時でした。おこがましくもその謝辞を記載いたします。
「本日はお忙しい中こんなに多くの方にご出席いただき心より感謝の思いでございます。六月九日、天皇陛下が直々にご署名いただいた旭日大綬章を天皇自ら御手渡しいただきました。心より幸せに感じました。これはひとえに、お支え下さいました皆さま方の力の賜物でございます。
幼い日の夢であった政治家になって以来、公明党山口代表はじめ公明党議員の方々には、政治活動でいつも励まし、助けていただきました。政治家は足を引っ張り合うといわれておりますが、公明党にあっては、皆が支え合い、一瞬たりともそのような経験をしたことはございません。また、六世紀に聖徳太子によって建立され、1203年に親鸞聖人が百日籠られて浄土真宗を開かれた紫雲山頂法寺六角堂の住職の妻である私を、党派をこえ、いつも深い情愛で励まし、応援して下さった創価学会の皆さま方、私が政治家になった日からずっと見守ってくださった西口総関西長、西山関西長、なによりも婦人部の皆さま方に心から感謝の思いでございます。皆さま方が励ましてくださればこそ、私はあの夏の暑い日にも冬の厳しさの中にあっても、微笑を絶やさず選挙を戦っていくことができました。その絆はいつまでも心に刻み込まれております。そして今日、わざわざ東京からお越しくださった皆さま方、地元の皆さま方、心より感謝申し上げます。
この授章を、娘二人は素直に心から喜んでくれました。人生の晩秋を迎え、良き子育てができたのかと忸怩たる思いのするなか、ささやかな子供孝行ができたのかと安堵する思いがいたします。今日のこの日も、このような晴れがましいことは躊躇する思いがいたしましたが、人生に一度しかないからと娘が背中を押してくれ、舞台にございます大作も一か月前から制作し、また皆さま方の感謝の思いを卓上の花にと、今朝生けてくれました。由紀、美佳、本当にありがとう。幼い日の政治家になりたいという夢を五十四歳にして期せずして果たすことができました。苦しんでいる子どもたちを救うための児童虐待防止法を成立させたとき、政治家になってよかったと心底思いました。
日本の柱は、教育・文化芸術、科学技術、スポーツと、強い信念のもと文部科学行政に携わることができ、その間数多くの法律を作ることができましたことは私にとって幸せの一言に尽きます。今日も文部科学省からは次官をはじめ、沢山の人が来てくれています。みんな私の大切な同志です。ありがとう。芸術文化振興基本法、子ども読書活動推進法、文字・活字文化振興法、オリンピックをひかえスポーツ基本法、そしてまた、京都府知事、市長、商工会議所のつよい希望をかなえ、古典の日を制定いたしました。11月1日は古典の日です。引退する直前に、社会保障と税の一体改革のなかで7千億円、年間こどものために助成する子ども子育て支援法を議員立法し、悔いない政治生活でした。
天皇陛下から賞状を頂いたとき、引退のない陛下を拝受し、私もこれからはのびのびと、おおらかに自由に自分のしたいことをしていきたいと思いますが、わが命わが宝である娘や孫に、少しでも社会に貢献している後姿をみせたいと、いままで培ってきました叡智人脈を生かし、教育NPOを立ち上げました。府の認可もいただき、大安の日の9月27日に登記を済ませました。国際社会のなかで、尊敬と情愛のもてる人間育成に力をそそいでいくことは、先を歩んでいる人間の使命と信じております。
これからも、夢と目標をもって精進し、皆さま方にお助けいただくとともに、皆さまの少しでも力になれる存在でなければならないと心に銘じております。どうぞこれからもお支えいただけますよう心よりお願いし、言葉に尽くすことのできない感謝の言葉とさせていただきます。」